スキタイ美術とは? わかりやすく解説

スキタイ美術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 20:38 UTC 版)

スキタイ」の記事における「スキタイ美術」の解説

初期スキタイ美術(西部スキタイ文化特徴づける共通要素として必ず取り上げられるのは、スキタイ風動文様馬具(鐙形銜と三孔・二孔銜留め具),武器アキナケス短剣両翼・三翼鏃)の三要素である。19世紀末から20世紀初めにかけて北カフカス黒海北岸スキタイ古墳多く発掘され、その中からいくつかの金銀製品発見されたが、それらすべてがスキタイ固有の美術品というわけではない。その様式には西アジア後期ヒッタイトアッシリアウラルトゥ)の影響見られる初期スキタイ美術(東部17世紀から18世紀にかけて、カザフステップにおけるスキタイ・サルマタイ時代古墳ロシア人によって盗掘され、その副葬品である金銀製品のほとんどが散逸してしまった。1715年ロシア皇帝ピョートル1世在位1682年 - 1725年)はその美術的価値気づき、できる限り金製品をかき集めて保護した。こうして集められ金製品は250点にのぼり、現在は「シベリア・コレクション」あるいは「ピョートル・コレクション」と呼ばれエルミタージュ美術館所蔵されている。この「シベリア・コレクション」には初期スキタイ時代紀元前8世紀 - 紀元前6世紀)のものからサルマタイ時代紀元前5世紀 - 4世紀)のものまで含まれているが、初期スキタイ属するものとしては体を丸めた豹の飾板があり、これはアルジャン古墳,ケレルメス古墳,ウイガラク墓地のものと同じモチーフである。「体を丸めた動物」というのは初期スキタイ最大特徴であり、他には「つま先立ち動物」、「脚を折りたたんだ動物」などのモチーフがある。また、初期スキタイ美術の東部カザフステップ以東)では西アジア影響見られず、スキタイ文化の元々の姿に近いと考えられている。 後期スキタイ美術 後期紀元前4世紀後半 - 紀元前3世紀初め西部黒海北岸北カフカス)のスキタイ美術ではギリシア文化の影響見られる特徴としては、パルメットナツメヤシ広がったような文様)や唐草模様のような植物文様施されたこと、動物表現がより写実的になったこと、人間神々表現されるようになったことが挙げられる。これらの作品当時黒海北岸住んでいたギリシア人職人スキタイ王侯注文に応じて作ったものと考えられている。 この時代作例としては、1971年発掘されたトヴスタ・モヒーラ(トルスタヤ・モギーラ)古墳発見され女性胸飾り挙げられ、「体をひねった動物」という表現もこの時代特徴である。

※この「スキタイ美術」の解説は、「スキタイ」の解説の一部です。
「スキタイ美術」を含む「スキタイ」の記事については、「スキタイ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「スキタイ美術」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「スキタイ美術」の関連用語

スキタイ美術のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



スキタイ美術のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのスキタイ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS