世界グランプリ・フル参戦とは? わかりやすく解説

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世界グランプリ・フル参戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 04:55 UTC 版)

フレディ・スペンサー」の記事における「世界グランプリ・フル参戦」の解説

1982年、ホンダ・ワークスから世界GPへのフル参戦開始同年からホンダNR5004ストロークエンジン)に代え2ストローク3気筒エンジン搭載新型マシンNS500実戦投入しており、スペンサーはこの車両駆って同年スペインGPで初のPP獲得しベルギーGP世界グランプリ勝利を遂げる。その後も1勝を挙げランキング3位獲得する1983年にはヤマハケニー・ロバーツと、年間12戦のうち6勝ずつ分け合う激し戦いを展開。最終第12戦サンマリノGPではケニー優勝して対戦成績五分戻したが、獲得ポイントスペンサーが2ポイント上回っており、500ccクラスチャンピオン獲得することになった。この時点スペンサー21歳8ヶ月であり、2013年マルク・マルケス破られるまでロードレース世界選手権最高峰クラスにおけるシーズン制覇の最年少記録であった1984年からホンダV型4気筒エンジン搭載NSR500投入したが、車両独創的レイアウト影響によるトラブル多くスペンサーシーズン5勝をあげるもランキングは4位にとどまりエディ・ローソンヤマハ)にシーズンタイトルを奪われた。ちなみにスペンサーこの年NSR500NS500コースによって使い分けていた。 1985年シーズン前年成績挽回すべく、WGP500cc、250ccの両クラスにダブルエントリー。500ccクラスでは全12戦中11戦に出走し7勝をマーク250ccクラスでは全12戦中10戦に出走しやはり7勝を収め、両クラスとも最終戦待たずして年間チャンピオン確定。'70年代以前には同一年複数タイトル獲得する例も多く見られたが、世界GPにおける「Wタイトル」はこの年スペンサーが現在までのところ最後記録である。また、500ccと250ccのWタイトル世界GP史上スペンサーのみである。なお90年代後半にダブルエントリーが認められなくなったため、この記録を破ることは現在不可能。

※この「世界グランプリ・フル参戦」の解説は、「フレディ・スペンサー」の解説の一部です。
「世界グランプリ・フル参戦」を含む「フレディ・スペンサー」の記事については、「フレディ・スペンサー」の概要を参照ください。

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