三行経営統合の破談とは? わかりやすく解説

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三行経営統合の破談

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 00:20 UTC 版)

UFJ銀行」の記事における「三行経営統合の破談」の解説

1998年9月あさひ銀行(現・りそな銀行埼玉りそな銀行)と東海銀行2000年10月目処持株会社方式経営統合合意東海あさひ銀行構想)し、2001年秋に地域別銀行再編し、さらに賛同する地方銀行組み合わせ“マルチ・リージョナル・バンク”を目指す方針だった。 しかし、両行の交渉が長引く中で、1999年8月第一勧業銀行富士銀行日本興業銀行による3行の経営統合みずほフィナンシャルグループ設置)、続く同年10月には三井財閥系のさくら銀行住友財閥系の住友銀行合併三井住友銀行)が発表され企業グループ超え急速に都銀上位行のメガバンクへの再編が進む。 こうした金融再編取り残されたのは、拓銀破綻後都銀下位行に甘んじた大和銀行と、強烈な行風が倦厭された三和銀行であった再編乗り遅れた三和銀行は、首脳陣が同じ名古屋大学出身であった東海あさひ銀行連合に急接近する東海あさひは、営業エリア首都圏東海地方集中して規模的に中途半端となっていた為、地方銀行の他、大和銀行参加呼び掛けた。 しかし、2000年2月名古屋市内で室町鐘緒三和銀行頭取西垣覚東海銀行会長会食経て大和銀行ではなく三和銀行加えた持株会社設立による経営統合」を2000年3月発表した2000年4月より3行間でのATM利用手数料自行扱いとする施策実施や、同年中に三和銀行系列金融各社構成されるフィナンシャルワン」へ、東海・あさひ両行の参入検討図ったその後三和銀行経営迅速化名目三行合併させて三和東海あさひ銀行発足構想主張したため、経営主導権三和握られることを嫌ったあさひ銀行2000年6月構想より離脱結局三和銀行東海銀行合併という形で決着した。 この経営統合から離脱したあさひ銀行は、2001年には不良債権処理による損失から公的資金注入優先株対す中間配当が困難となり、経営危機表面化する一方東海あさひの経営統合参加当初有力視されるも、三和参入破談となった大和銀行は、同年12月親密地銀と金持株会社大和銀ホールディングス設立した2002年3月あさひ銀行がその持株会社傘下に入る形で経営統合行った。両行は2003年5月りそなショック発生予見出来ぬまま、前途多難船出強いられた

※この「三行経営統合の破談」の解説は、「UFJ銀行」の解説の一部です。
「三行経営統合の破談」を含む「UFJ銀行」の記事については、「UFJ銀行」の概要を参照ください。

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