三洋電機設立とは? わかりやすく解説

三洋電機設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 08:27 UTC 版)

井植歳男」の記事における「三洋電機設立」の解説

1946年松下電器対す戦後GHQからの公職追放令財閥軍需会社幹部1人除いて全員追放)を受け、松下幸之助庇う形で30年勤めた松下電器を退く。翌1947年43歳の時、守口市三洋電機製所を設立し社長に就任する。幸之助からは餞として兵庫県加西郡北条町(現・加西市)にある北条工場と、自転車用発電ランプナショナル発電ランプ」の製造譲られた。完成したばかりの工場失火焼失するなどのアクシデント乗り越え1949年には発電ランプ国内シェア6割達成成功したまた、ラジオキャビネット木製からプラスチック置き換えコストダウン図ったり、のちに「三種の神器」の一角になる洗濯機着目し、これまた国内市場シェアトップ持っていった。 1958年には、従前興味余りなかった労働組合結成許可したが、これが裏目に出て1961年まで続く大争議発展した争議収束後からテレビ等をアメリカ売り込み始めた1963年には自身音頭とりで淡路フェリーボート須磨港 - 大磯港間、1998年廃止)を就航させ、次いで同じ淡路島出身原健三郎とともに本四架橋実現運動始めた長男井植敏の「私の履歴書によれば、歳男は淡路島への国際空港誘致考えていたという)。1968年1月社長の座をすぐ下の弟・祐郎に譲って会長就任し1969年7月16日死去した

※この「三洋電機設立」の解説は、「井植歳男」の解説の一部です。
「三洋電機設立」を含む「井植歳男」の記事については、「井植歳男」の概要を参照ください。

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