三河真木氏とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 組織・団体 > 家系 > 家系 > 日本の氏族 > 三河真木氏の意味・解説 

三河真木氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 12:56 UTC 版)

三河真木氏(みかわまきし)は、三河国に分布・居住する氏族真木氏のことである。真木氏は史料により、牧氏・槇(槙)氏とも表記される場合がある。この三者は異なる出自を持つ可能性もあるが、関係史料では混用も見られるため、出自については複雑であり、同一視されて説明されることもある。


  1. ^ 三河真木氏における現存する史料の初見は、1538年(天文7年)発給の牧野氏・真木氏等4名連署の判物『牛窪北鉄屋大工助九郎安堵状』である(愛知県立図書館蔵、『牛窪記』でも引用古文書となっている)。
  2. ^ 真木(牧・槙)という姓及び地名が、鍛冶・砂鉄と縁が深い例として、河内国古市郡発祥のマキ氏、備前国槙ヶ峠発祥のマキ氏 出雲国槇木村発祥のマキ氏、陸奥国槙峯発祥のマキ氏・マキノ氏、陸奥国石川郡槙発祥のマキ氏があるほか、特に尼子十旗の真木氏・馬来氏は著名。
  3. ^ 古市郡は『郡』であってもその面積は狭く羽曳野市の要部と、富田林市のごく一部など限られた範囲でしかない。
  4. ^ 中条神社社記の史料評価上の注意点;14世紀半ばの伝説を記述した中条神社社記であるが、その前身となる加知天神は、1575年(天正3年))長篠の戦いの兵火などで2回、槇家系記などの古文書を焼失しており、槇家系記には書き足しが見られる。また、三河文献集成(国書刊行会)には、やはり後世の書き足しが指摘されている牛久保城古図と並んで、中条神社社記の収載がない。
  5. ^ 牧(真木)宗次郎の存在を伝える伝説は、牛窪密談記以外にみることができない。このため時代が少し異なる常山紀談などに登場する牧宗次郎を、著者が取り違えたのではないかとする説もある。
  6. ^ 早川直八郎・早川彦右衛門著『三河国宝飯郡誌』第六集・33頁、「篠束村」、1891年(明治24年) - 1893年(明治26年)の合本(NDLJP:765323)。
  7. ^ すなわち、牛久保城の内堀の中に屋敷を持った真木氏(牛久保城古図)は、橘姓・真木氏であって牧野氏の一門衆か、それに近い存在である一方で、鍛冶村古屋敷の真木越中守定善・同善兵衛(二葉松)等は、源姓・真木氏であって中条神社の神官・牧氏と同じく刀鍛冶と縁が深く、真木定観の末裔を称していた。そして源姓・真木氏(牧氏・槇氏)から橘姓・真木氏に、真木三郎左衛門重勝が養子入りをして槙氏に改姓したため、ますます混沌として、紛れてわからなくなってしまったという見方もできるが、あくまで可能性の一つであって、推定の域を出るものではない。
  8. ^ 江戸時代に小諸藩家老真木氏と、藩主牧野氏との間に養子縁組をした家系図などが存在するが時代的に異なる(都立中央図書館・小諸図書館各蔵の小諸牧野氏年譜、京都大学所蔵文書など)。
  9. ^ 愛知県長谷寺の過去帳、及び同寺発行のパンフレット。歴史と旅『武田信玄総覧』には、真木伝右衛門の名が見える。
  10. ^ 長野県小諸市誌には信濃国小諸藩家老・真木氏の墓石の一部が写真掲載されているが、その写真から「橘」の文字が読み取れる。また新潟県長岡市立中央図書館蔵の越後長岡藩家老首座・稲垣氏家譜録によると、槇氏と稲垣氏との間に通婚関係が確認でき、これによると槇氏は橘姓であったことが記述されている。なお真木家文書(東京大学史料編纂所蔵)には、源姓・橘姓のいずれの記述もない。
  11. ^ 『今川記』の1465年(寛正6年)の額田軍一揆の記述では足利氏支族の故一色義貫(左京大夫)の御家人とされ、南朝系ではないことが見て取れる。(→『岡崎市史』第2章第2節「守護と奉公衆」)
  12. ^ 古市城攻めの記事は太平記に記述がなく、奈良県吉野郡の運川寺文書などが根拠である。また古市城の場所は特定されていない。 応神天皇陵などの古墳が散在する河内国古市郡は、弥生時代古墳時代から渡来人が多く居住して、製鉄・鍛冶が盛んな地域であった。時代が下って鎌倉時代末期から南北朝時代にかけては、橘姓を自称した楠木正成楠木正行の勢力圏となった。 真木氏の起源を鍛冶集団とするならば、その遠祖は、鍛冶の盛んな地域から渡来してきたことは、想像に難くない。 鍛冶は賤民の職業とは限らないが、中世の散所には、賤民視されていた鍛冶職人が多く定住していたことに注目すべきである。彼らは散所の長者・悪党であった南朝の英雄、楠木氏の支配・影響を当然に受けていたはずである。 また大阪府の旧古市郡となる羽曳野市富田林市などのハンナン地区には、鍛冶屋を先祖に持っていたとの伝説を持つ真木氏が、現代にも残っている。 また、中世の時期から続いていた鍛冶工房(かじこうぼう)も盛んで、街道にはたくさんの工房が存在したようで、特にまちの北東部は「鍛冶町」と呼ばれています。(羽曳野市役所ホームページより引用)
  13. ^ 大阪府枚方市・すなわち北河内にあり、大阪府・京都府・奈良県の境近く
  14. ^ 大阪府南部(河内国)との境近くにある奈良県(大和国)柏原市大字青谷の金山彦神社・金山媛神社の伝説
  15. ^ 第27代豊川市議会議長・真木浅雄(在職は1979年(昭和54年)5月から約1年間)。
  16. ^ 真木(槙)氏は、寺院ではなく一本松にあった野火の火葬場の近くに一族の共同墓地を持っていた。真木氏葬地は改葬されて愛知県営牛久保住宅となっていたが、これも老朽化して(1992年(平成4年)~1993年(平成5年))に、全面的に中層住宅に建て替えられて、過去の面影を全く残していない


「三河真木氏」の続きの解説一覧




固有名詞の分類

このページでは「ウィキペディア」から三河真木氏を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から三河真木氏を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から三河真木氏を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「三河真木氏」の関連用語

三河真木氏のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



三河真木氏のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの三河真木氏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS