中世の宝飯郡真木氏の末裔
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「三河真木氏」の記事における「中世の宝飯郡真木氏の末裔」の解説
宝飯郡鍛冶村の支配者であった真木氏の直系子孫の多くは、譜代大名となった牧野氏によって、家臣団化された。 1590年(天正18年)、徳川家康が関東移封(国替え)されたことによって、三河国の支配階級の中にはこれを嫌って、土着・帰農した者が出た。郷士となった真木氏がいるかは不明であるが、土着・帰農した者がいたとみられ、江戸時代には苗字を許された農民階級の真木氏が宝飯郡には存在したほか、明治から昭和初期には寄生地主となった真木姓の者もいた。 また宝飯郡鍛冶村(現:豊川市)の鍛冶屋は、江戸時代初期に、その繁栄が豊川から豊橋に奪われると、豊橋に集団で移転した。 また現代でも、愛知県豊川市、豊橋市、宝飯郡には、真木姓が散見され、特に豊橋市の真木姓を称する者には、先祖が鍛冶屋職人であった者が多いと云う指摘がある。
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