中世の大沢氏と堀江
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/17 06:59 UTC 版)
大沢氏は、中世以来この地を治めてきた豪族である。初代・基秀は、藤原道長の子・頼宗から12代の子孫で、南北朝時代に地頭として遠江に下向し、堀江城主となってそのまま土着したと伝わる。第2代基久は遠江守護の斯波氏に仕え、かつて基秀が領有した丹波大沢村の由縁により大沢姓を称した。第7代・基房は遠江に進出した今川氏に仕え、今川氏輝・義元の時代には加増を受けて重用されている。 桶狭間の戦い以後、今川氏が衰退して徳川家康が遠江に侵攻すると、第9代基胤は今川方として家康に抵抗する。永禄12年(1569年)3月12日、堀川城をわずか1日で攻略した家康は、同25日井伊谷衆(近藤康用と秀用、鈴木重路、菅沼忠久父子、菅沼定盈)に命じて堀江城に侵攻する。大沢家は頑強に抵抗したものの、4月12日に家康から本領安堵の誓書が与えられると、以後は徳川家に臣従した。
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