田原藩主・三宅氏家臣の真木氏
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「三河真木氏」の記事における「田原藩主・三宅氏家臣の真木氏」の解説
三河国田原藩主・三宅氏(三河国渥美郡田原発祥)家臣に真木氏があり、名の通字を「定」としているほか、襲名にも「重」の字を使用しているため、上記の宝飯郡牛久保・真木氏と同族であるとも推定できるが、史料学的には不明である。 同藩の真木氏は上級家臣の家系ではあるが、小藩でかつ慢性的な財政窮乏であったため、家禄は100石に満たなかった。 渡辺崋山派であった同藩上級藩士・真木定前(重郎兵衛)は、藩政改革により、家老に次ぐ役職である重臣(用人・加判)に抜擢されたが、1844年(弘化元年)に藩主・三宅康直を継嗣問題で諌めるため、参勤交代途中の金谷宿で切腹し、これを受け入れられた。
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