三〇一空とは? わかりやすく解説

三〇一空

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 04:16 UTC 版)

笠井智一」の記事における「三〇一空」の解説

1944年7月10日263空解隊第三〇一海軍航空隊301空戦闘301飛行隊編入ダバオ滞在中、笠井らは喧嘩になって相手殴ったが、その相手陸軍憲兵であり、笠井らの身柄引き渡し301空要求した隊長菅野直大尉は、そんなやつは知らないし、部下渡さない断ったが、再三要求され、それを避ける意味もあり、菅野派遣隊として笠井らを率いてヤップ島移動7月10日-23日ヤップ島でB-24の迎撃参加笠井はこの戦闘1度被弾し不時着水して救出されている。派遣隊撃墜17機(不確実9)撃破46機の戦果上げ第一航空艦隊司令長官から表彰受けた笠井表彰書かれ程に落ちていないだろうと戦後語っている。その後セブ島引き上げ笠井らは反跳爆撃訓練に入る。 10月損耗した零戦補充するために本土派遣され菅野隊長とした空輸隊に参加レイテ沖海戦直後マバラカット帰還10月27日神風特別攻撃隊忠勇隊の直掩任務参加笠井同期野々尚も特攻隊員含まれていた。笠井によれば野々山は直掩笠井知り、よろしく頼むぞと明るく話していたという。11月1日、上飛曹に昇進11月前線基地セブ島着陸した菅野隊は現地部隊から機体不足を理由零戦取られた。中攻便乗してマニラ帰還することになるが、途中P-38襲われ「もう駄目です皆さん諦めてください」と中攻操縦員が告げると菅野が「どけ、俺がやる」と操縦交代し敵機追撃振り切りルバング島不時着脱出直後中攻爆破された。 特攻直掩任務続いたが、笠井杉田庄一に連れられ、杉田とともに司令玉井中佐特攻志願を行う。しかし、玉井は「特攻はいつでも行ける俺の代わりに内地行って部隊墓参りをしてこい。そこで菅野合流し指示従えと言われた。内地帰還する途中台湾で米機動部隊襲来遭遇し現地部隊から特攻命じられ待機したが、内地菅野待っているら行けと取り消された。菅野合流後252空編入され桜花直掩任務に当たる予定説明されたが、その後取り消された。

※この「三〇一空」の解説は、「笠井智一」の解説の一部です。
「三〇一空」を含む「笠井智一」の記事については、「笠井智一」の概要を参照ください。

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