ヴィルヌーヴ対シューマッハ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 07:35 UTC 版)
「1997年のF1世界選手権」の記事における「ヴィルヌーヴ対シューマッハ」の解説
開幕前のテストではウィリアムズが好調であったことから、今季もウィリアムズ優勢と考えられ、F1参戦2年目となったジャック・ヴィルヌーヴのタイトル獲得が有力視されていた。しかし、フェラーリ移籍2年目のミハエル・シューマッハは、この年も準備期間と考えていたが、結果的にタイトル候補へ浮上。同時にコンストラクターズタイトルもウィリアムズとフェラーリの争いとなり、この二人と双方が所属するチームによって今季のタイトルが争われ、セカンドドライバーをも含めたウィリアムズとフェラーリの両チームによる総力戦と言える内容を呈すこととなった。 シーズンの3分の1に当たる第6戦までだが、ウィリアムズはヴィルヌーヴの開幕からの4戦連続ポールポジション(PP)も含め、6戦連続PPを記録するも、チームとして優勝かリタイア(ノーポイント)という展開となった。この年のウィリアムズ・FW19は前年よりマシンの優位性が少なくなっており、デイモン・ヒルの解雇にマシンチーフデザイナーのエイドリアン・ニューウェイが異を唱え、マクラーレンに移籍したことによる影響があったとも言われている。その一方でこの間、フェラーリ陣営はシューマッハがモナコGPで挙げた1勝のみであったが、この年からベネトンでシューマッハと黄金時代を築いたマシンデザイナーのロリー・バーンとエンジニアのロス・ブラウンが加入しチーム体制の強化が図られており、フェラーリ・F310Bは前年よりも戦闘力が向上したこともあり、チームとしてポイントを積み重ねていた。 第7戦から第12戦の間もフェラーリは安定してポイントを積み重ね、第7戦カナダGP終了時にはシューマッハがポイントリーダーの座についたのに対し、ウィリアムズはノーポイントが目立ち、コンストラクターズもフェラーリがトップに立っていた。だが、第13戦以降フェラーリは失速。ウィリアムズ陣営が追い上げ、両方ともポイント差を詰めて逆転。コンストラクターズは第16戦の結果によりウィリアムズのタイトルが確定。ドライバーズタイトルの方は、シューマッハがヴィルヌーヴを1ポイントリードした状況で、前年に続き最終戦で雌雄を決することとなった。予選でヴィルヌーヴ、シューマッハ、ウィリアムズのハインツ=ハラルド・フレンツェンも含めて3人が1000分の1秒まで同タイムという結果となり、「予選同タイムの場合、先に記録した順のグリッドとなる」というレギュレーションにより、PPはヴィルヌーヴ、2位シューマッハ、3位フレンツェンと決まった。そして、決勝はレース中での接触による決着(シューマッハはリタイア、ヴィルヌーヴはダメージを受けたものの完走し3位)となり、ヴィルヌーブがドライバーズタイトルの栄光に輝き、ウィリアムズとしては2年連続のダブルタイトル獲得となった。しかし、最終戦の48周目の両者接触について、シューマッハが故意に接触したのではないかという論争が巻き起こり、FIAでも調査が行われた。結果、シューマッハの行為に対してFIA側は「未必の故意」があったと裁定し「ドライバーズランキングからの除外」という厳罰が下されている(シューマッハの通算個人成績やコンストラクターズポイントはそのまま有効)。 また、セカンドドライバーの活躍も結果的にタイトルへ影響を与えた。フェラーリのエディ・アーバインは前半戦の表彰台や日本GPでのシューマッハのアシストなどの活躍により、チームのタイトル争いを援護。ウィリアムズのフレンツェンは前半戦の第4戦の自身初優勝に加え、第12戦から5戦連続表彰台獲得によりコンストラクターズタイトル獲得の貢献を果たした。
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