ヴィルヌーヴの逃走
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 01:11 UTC 版)
「トラファルガー戦役」の記事における「ヴィルヌーヴの逃走」の解説
ヴィルヌーヴと、次席指揮官のピエール・デュマノワール・ル・ペレイ(英語版)は、トゥーロンの艦隊に戦闘準備をさせるべく急いだ。ネルソン艦隊はバルセロナの近くに配置されており、ヴィルヌーヴは巡回中のイギリス艦隊に遭わないことを願った。ヴィルヌーヴはトゥーロンから真南に下って、バレアレス諸島の東を通過する予定だったのだ 。ところが、ネルソンは罠を準備していたのである。スペイン沖で自分の艦隊を目撃させておいた後、サルデーニャ南部まで撤退し、ヴィルヌーヴがイギリス艦隊がいると思われる場所を避けようとすると、ネルソン自身のの艦隊にまっすぐ突っ込む仕掛けになっていたのである。 ヴィルヌーヴは3月30日に艦隊を出港させ、イギリス艦アクティブとフィービに監視されており、そしてネルソンの思惑通りに、バレアレス諸島とサルデーニャの間に針路を取った 。しかしこのイギリスのフリゲート艦2隻は、4月1日にフランス艦隊を見失い、同じ日にヴィルヌーヴは偶然出会ったスペイン商船から、ネルソンがサルデーニャ沖にいるのを目撃したと聞かされた。自分が待ち伏せに遭うことを知ったヴィルヌーヴは、バレアレス諸島の西に針路を変えた。フランス艦隊の姿は見えず、ネルソンはフランス艦隊の意図するものを理解しないままだった。ヴィルヌーヴはそのままカルタヘナに向かったが、そこで合流するはずだったスペイン艦船はマドリッドからの命令が未着だとして合流を拒んだが、ヴィルヌーヴは敢えて命令の到着を待たなかった。代わりにヴィルヌーヴは、ジョン・オードの戦隊の監視を受けつつ4月8日に速度を上げてジブラルタル海峡を通過した。カディスでフランスの74門艦エーグル(英語版)を手に入れ、大西洋を西インド諸島へ横断しようとした。そのヴィルヌーヴの後ろには、6隻のスペインの戦列艦と、フェデリコ・グラビーナ指揮下のフリゲート艦がついて来ていた。 その間ネルソンは、フランス艦隊の出航に警戒していたが、サルデーニャ沖での交戦に失敗したため、フリゲート艦で当該海域をくまなく偵察し、何らかの新しい情報を入手することにした。最終的にすべての艦隊を地中海から撤退させるべきと決心した後に、ネルソンはジブラルタル海峡へ自分で乗り出し、5月8日に、オードの艦隊の1隻から、フランス艦隊がひと月前に海峡を通ったが、北へは向かわなかったという決定的な裏付けを得た。ヴィルヌーヴが西インド諸島へ向かったことを確信したネルソンは、追跡を始めた。
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