ヴィシー政権支持から自由フランス支持・対独レジスタンスへの転向
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「ジュール・ロワ」の記事における「ヴィシー政権支持から自由フランス支持・対独レジスタンスへの転向」の解説
1939年、第二次大戦勃発。1940年5月にドイツ軍がフランスに侵攻し、6月にフィリップ・ペタン元帥が首相に就任すると、ジュール・ロワはヴィシー政権を支持した。この年、彼は最初の著書(随筆)『ペタンによって救われたフランス』を発表した(ペタンに対する見方を変えたのは1966年発表の『大いなる失墜 - 甦る悲劇の人、ペタン元帥』においてである)。さらに翌7月にアルジェリアの北端、オラン県メルス・エル・ケビールでフランス海軍の艦隊がイギリス軍によって撃沈されると(メルセルケビール海戦)、連合国軍に対する不信感を募らせることになった。だが、1942年11月、連合国軍が北アフリカに上陸すると(トーチ作戦)これを支持し、渡英してイギリス空軍(RAF)に志願入隊、爆撃機軍団(英語版)(FAFL)に配属された(このときの体験から後に戯曲『カール中尉』を制作し、ジャン=ルイ・ロワ監督、オベール・ルムラン(フランス語版)音楽によるオペラとして上演された)。 さらに1943年から45年まで自由フランス空軍(フランス語版)のロレーヌ爆撃隊(フランス語版)に入隊し、将校として、ルール工業地帯を標的とした攻撃に参加。1946年にこの経験に基づく小説を発表した。兵士の恐怖感や戦争の現実を描きながら、皮肉を込めて『幸福の谷間』と題したこの作品は、『ル・モンド』紙に連載された小説であり、同年のルノードー賞に輝いた。
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