ワルシャワで修道院入り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/05 22:24 UTC 版)
「ファウスティナ・コヴァルスカ」の記事における「ワルシャワで修道院入り」の解説
1924年になると19歳のファウスティナは彼女の姉妹のナタリア(Natalia)とウッチ市の公園でダンスをしていた。ファウスティナはダンスをしている間中、イエスが苦しんでいるビジョンを見たという。すると彼女は大聖堂に行き、そこで彼女はイエスからすぐにワルシャワの修道院に入るようにと教えられたと言う。その夜、ファウスティナは小さなカバンに荷物を詰め込み、次の日の朝になると85マイル先のワルシャワ行きの汽車に乗った。両親の許可もなく、ワルシャワには知っている人は誰もいなかった。彼女は到着した後、一番初めに目にした「聖ヤクバ教会」でミサに参列した。彼女はそこの司祭であるドンブロフスキ(Dąbrowski)神父に相談した。神父はファウスティナにリプシコヴァ(Lipszycowa)夫人というその地方で信頼できる人物を紹介し、修道院が見つかるまでそこに滞在しなさい、と勧めてくれた。 ファウスティナはワルシャワのいくつかの修道院を訪れたが、十中八九断られた。ある修道院など「私たちはメイドを受け入れていない」と言った。それは彼女が持参金を有していなかったからである。ファウスティナは3、4年間の教育で読み書きができるようになっていた。その数週間後に修道院を探して見ると、遂に、神の慈しみの聖母修道会(英語版)の修道院長がファウスティナを受け入れる条件と機会をくれた。そして彼女が支払うことができる金額で修道服を支給してくれた。 ファウスティナは、自分が修道院に導かれていると信じていること以外、そこに入るための事を何一つ知らなかった。1926年4月30日、ファウスティナは20歳の時、修道服を着衣し、修道名、御聖体のマリア・ファウスティナと名乗った。ファウスティナの名前の意味は「幸運なもの」又は「祝福された者」であり、キリスト教の殉教者であるファウスティヌス(Faustinus)の女性名から取ったことも考えられる。1928年4月には初誓願を立て、彼女の両親の出席のもと、誓願式に臨んだ。ちょうど10年と少しの間の修道女である運命であった。彼女が亡くなったのは1938年の10月5日、33歳の時である。 1929年の2月から彼女はヴィルノ(現在のリトアニア領ヴィリニュス)の修道院に調理係として転勤になった。1年後の1930年5月に彼女はヴィルノからプウォツクの修道院に転勤になった。
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