ロシア/ソ連軍
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第一次世界大戦中の1914年9月8日、にロシア帝国のピョートル・ネステロフ大尉がオーストリア機に対して行った行動が、世界初の航空機による体当たり攻撃とされる。これにより墜落した2機の乗員3名は死亡している。第二次大戦初期(独ソ戦)のソ連軍には、旧式化していたI-16などの旧式機が多数存在していたが性能が劣っていたため、タラン と称される航空機による体当たり攻撃が行われた。タランが完全にパイロットの自由意志で行われたかは不明であるが、 プロペラで敵機の方向舵を破壊して操縦を不能にする、最も安全で推奨された攻撃方法。 自機の翼で、敵機の方向舵や翼を破壊し操縦を不能にする。 敵機の胴体に体当たりする、上の2個の方法ができない場合の攻撃方法。一番危険であり、この攻撃を行ったパイロットのほとんどが戦死した。 以上の体当たり戦術が行われていたとソ連空軍のノビコフ上級大将が戦後に著書で解説している通り、体当たりの技術はかなり研究・洗練され体系化されており、軍による戦術の指導があった可能性が高く、パイロットが個別判断でその場の思い付きで行っていたとは考え難い。またタランで戦死したパイロットは国家英雄としてソ連邦英雄やレーニン勲章などで叙勲されて、大祖国戦争遂行のために兵士の士気を鼓舞することに利用された。 ソ連軍のパイロットは機体が損傷したり弾薬が尽きると、ドイツ軍の戦闘機や爆撃機に対する体当たり攻撃だけでなく(タラン攻撃をしたパイロットの一覧(ロシア語版)を参照)地上のドイツ軍の戦車などにも体当たりしたパイロットも多かった。(大祖国戦争で地上目標にタラン攻撃をしたパイロットの一覧(ロシア語版)を参照)体当たり攻撃したパイロットの多くは戦死したが、中にはボリス・コブザンのように4回も体当たりしながら生還したパイロットもいた。タランは新型機の配備が軌道に乗ってからも引き続き行われている。
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