ロウェルの視点
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ゲディミナスのキリスト教への改宗の二捨一択はステファン・クリストファル・ロウェルの著作『Lithuania Ascending: A Pagan Empire within East-Central Europe 1295-1345』で指摘されている。ロウェルはゲディミナスはキリスト教に改宗しようとしなかったと信じている、ゲディミナスは民族の庭園であるリトアニアのジェマティアやアウクスタイチアの古くからの習慣を強く保持していたからである。その一方でゲディミナスの戦略はドイツ騎士団との戦いの際にローマ教皇や他のカトリック諸国からの援助や好意的な立場を得るためにキリスト教に興味があるように装ったのである。 ロウェルは、1322年に教皇ヨハネス22世に宛てた公的な手紙には意図不明な"fidem catholicam recipere"と言うフレーズは は“自身のためにカトリックを受け入れる”或いは単に“カトリック信仰はリトアニアに来る(カトリック信仰は自分たちの宗教を許す)”と指摘している。自身の本の197ページで以下のように記している。 “信仰の秘策”という曖昧なフレーズは明らかに熟考している。大公は洗礼と驚きを尋ねていることに意味をなさないことに印象を与えられる。しかしこれは同時に単にカトリックがリトアニアに来るという曖昧さである。ゲディミナスが後に改宗に遠回しな姿勢を取っていることからしてこれは明白な欺瞞である。 ロウェルはまた指摘する。ゲディミナスがカトリックの聖職者が自国でへの奉仕や臨時に宿泊するために入国を許していた時に、聖職者はリトアニア人への強引な改宗への試みや土着の宗教を侮辱していた。このような時期の1339年-1340年にゲディミナスはリトアニアの宗教に対して公的な説教をしていたボヘミア出身のウルヒリとマルティンという2人の修道士を処刑している。ゲディミナスは彼等に棄教を命じ、拒否したために殺したのである。1369年に同じ理由で5人の修道士が処刑されている。 ロウェルは1342年のゲディミナスの火葬は異教の儀式で満たされ、人身犠牲として幾人かのドイツ人の奴隷が死体とともに薪の中に投げ込まれたと指摘している。以上のことからゲディミナスにはリトアニアの異教の信仰が残り、カトリックへの興味の装いはドイツ騎士団に対する同盟を得るための計略的なものだったのである。 ロウェルは、遡るほど20年前にテンプル騎士団がフランス王フィリップ4世端麗王と教皇クレメンス5世の策謀で潰され、これがゲディミナスや他のドイツ騎士団の敵(ポーランド王やリガの大司教)がドイツ騎士団も教皇に潰されるとの確信が助長されたと指摘している。1322年の手紙には政治的面が理解できる。
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