レッジョ公国とは? わかりやすく解説

モデナ=レッジョ公国

(レッジョ公国 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/17 03:53 UTC 版)

モデナ=レッジョ公国
Ducato di Modena e Reggio (イタリア語)
Ducatus Mutinae et Regii (ラテン語)



1452年 - 1796年
1814年 - 1859年

(国旗(1830年 - 1859年) (国章(1830年 - 1859年)
国の標語: Dextera Domini exaltavit me(ラテン語)
国歌: Gott erhalte Franz den Kaiser(ドイツ語)
神よ、皇帝フランツを守り給え

1494年時点の北イタリアの地図
エステ家諸領地の位置は黄色
公用語 エミリア・ロマーニャ語ラテン語
(17世紀まで)

イタリア語
(18世紀から)
宗教 カトリック
首都 モデナ
1450年 - 1471年 ボルソ・デステ
1780年 - 1796年 エルコレ3世・デステ
1814年 - 1846年 フランチェスコ4世
1846年 - 1846年 フランチェスコ5世
変遷
成立 1452年
フランスによる征服 1796年
再興 1814年
中央統合諸州へ統合 1859年
現在 イタリア

モデナ=レッジョ公国(モデナ=レッジョこうこく、イタリア語: Ducato di Modena e Reggioラテン語: Ducatus Mutinae et Regii)は、イタリア北西部に1452年から1859年まで存在したイタリアの国家である。ただし、1796年から1814年まではナポレオンによるフランス帝国の支配下にあった。この国家は1796年まではエステ家に、1814年以降はオーストリア=エステ家によって支配されていた。

歴史

エステ家による統治

1452年、ボルソ・デステ神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世によって、モデナレッジョの侯爵から公爵に昇格されたことでこの国家は成立した。さらに、1471年に彼が同じく統治していたフェラーラも公爵領となった(フェラーラ公国)。1508年カンブレー同盟戦争アルフォンソ1世はカンブレー同盟側につき、ヴェネツィア共和国と戦った。1597年アルフォンソ2世が死ぬとエステ家の直系は絶えた。神聖ローマ皇帝ルドルフ2世は、自身の甥にあたるエステ家傍系のチェーザレに公位を継承させた。しかし、チェーザレの父がアルフォンソ1世の庶子だったことから、嫡出子にのみ継承権を認めるとしていたローマ教皇クレメンス8世により、1598年にフェラーラ公国は教皇領として没収された。三十年戦争が勃発するとフランチェスコ1世・デステスペイン側についた。その後、公国はスペイン継承戦争ポーランド継承戦争オーストリア継承戦争に巻き込まれる。1796年、フランス帝国による侵攻でエルコレ3世・デステはヴェネツィア共和国への亡命を強いられ、公国は一時滅亡した。

オーストリア=エステ家による統治

1814年、ナポレオンによるイタリア支配が終わると、モデナ公国はオーストリア帝国支配下でオーストリア=エステ家により復活したが、1859年にサルデーニャ王国によるリソルジメントにより消滅した。

モデナ=レッジョ公の一覧

脚注

参考文献

関連項目


レッジョ公国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/26 21:30 UTC 版)

レッジョ・エミリア」の記事における「レッジョ公国」の解説

1452年、ボルソが神聖ローマ皇帝フェルディナント3世からレッジョ・モデナ公の称号獲得した。ボルソの後継者エルコレ1世・デステは市に過酷な手形課し詩人マッテオ・マリア・ボイアルド知事任命した。のちに有名なイタリア人作家フランチェスコ・グイッチャルディーニ知事任命された。1474年偉大な詩人ルドヴィーコ・アリオスト郊外誕生した1513年レッジョ教皇ユリウス2世譲渡された。1523年9月29日教皇ハドリアヌス6世死去した後、レッジョエステ家元へ戻った1551年エルコレ2世・デステは、城壁再建計画にそって市の郊外壊した16世紀終わり頃、有名な市のベアタ・ヴェルジーネ・デッラ・ギアラ聖堂建設が、奇跡起きたとされる場所で始まったエステ家支配1796年まで続いた1702年1733年から1734年の間の短期中断を挟む)。

※この「レッジョ公国」の解説は、「レッジョ・エミリア」の解説の一部です。
「レッジョ公国」を含む「レッジョ・エミリア」の記事については、「レッジョ・エミリア」の概要を参照ください。

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