イザベッラ・ディ・サヴォイアとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > イザベッラ・ディ・サヴォイアの意味・解説 

イザベッラ・ディ・サヴォイア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 14:23 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
イザベッラ・ディ・サヴォイア
Isabella di Savoia
サヴォイア=ブレッセ家

出生 (1591-03-11) 1591年3月11日
サヴォイア公国トリノ
死去 (1626-08-26) 1626年8月26日(35歳没)
モデナ=レッジョ公国モデナ
埋葬 モデナ=レッジョ公国モデナ
配偶者 アルフォンソ3世・デステ
子女 一覧参照
父親 カルロ・エマヌエーレ1世
母親 カタリーナ・ミカエラ・デ・アウストリア
テンプレートを表示

イザベッラ・ディ・サヴォイアIsabella di Savoia, 1591年3月11日 - 1626年8月26日)は、イタリアサヴォイア家の公女で、モデナアルフォンソ3世の妻。夫の家督継承以前に死去したので、モデナ公爵夫人にはなっていない。

生涯

サヴォイアカルロ・エマヌエーレ1世とその妻でスペインフェリペ2世の娘であるカタリーナ・ミカエラの間の次女として生まれた[1]。1608年2月22日にトリノにおいて、モデナ公チェーザレ・デステの長男アルフォンソと結婚した。結婚生活は非常に幸福なもので、アルフォンソは妻に深い愛情を捧げた。1626年にイザベッラが14番目の子供を出産した際に死去すると、アルフォンソは悲嘆にくれ、2度と再婚しなかった。

子女

夫との間には9男5女の14人の子女をもうけ、うち8人(6男2女)が成人した。

  • チェーザレ(1609年 - 1613年)
  • フランチェスコ(1610年 - 1658年) - モデナ公
  • オビッツォ(1611年 - 1644年) - モデナ司教
  • カテリーナ(1613年 - 1628年)
  • チェーザレ(1614年 - 1677年)
  • アレッサンドロ(1615年)
  • カルロ(1616年 - 1679年)
  • リナルド(1618年 - 1672年) - 枢機卿、レッジョ司教
  • マルゲリータ(1619年 - 1692年) - 1647年、グアスタッラ公フェランテ3世と結婚
  • ベアトリーチェ(1620年)
  • ベアトリーチェ(1622年 - 1623年)
  • フィリベルト(1623年 - 1645年)
  • ボニファツィオ(1624年)
  • アンナ(1626年 - 1690年) - 1656年、ミランドラ公アレッサンドロ2世・ピコ・デッラ・ミランドラと結婚

脚注

  1. ^ Savoy3



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「イザベッラ・ディ・サヴォイア」の関連用語

イザベッラ・ディ・サヴォイアのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



イザベッラ・ディ・サヴォイアのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのイザベッラ・ディ・サヴォイア (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS