イザベッラ・デ・メディチとは? わかりやすく解説

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イザベッラ・デ・メディチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/11 21:14 UTC 版)

イザベッラ・デ・メディチ
Isabella de'Medici
メディチ家
イザベッラ・デ・メディチ(アレッサンドロ・アッローリ画、ウフィツィ美術館所蔵)

出生 (1542-08-31) 1542年8月31日
フィレンツェ公国
フィレンツェ
死去 (1576-07-16) 1576年7月16日(33歳没)
トスカーナ大公国
フィレンツェ近郊
ヴィラ・チェレット・グイディ
埋葬 トスカーナ大公国
サン・ロレンツォ聖堂
メディチ家礼拝堂(新聖具室)
配偶者 パオロ・ジョルダーノ・オルシーニ
子女 ヴィルジニーノ
父親 トスカーナ大公コジモ1世
母親 エレオノーラ・ディ・トレド
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イザベッラ・ロモラ・デ・メディチIsabella Romola de'Medici, 1542年8月31日 - 1576年7月16日)は、ブラッチャーノ公国の支配者パオロ・ジョルダーノ・オルシーニの妃。

生涯

ヴィンチェンツォ・ペトロチェッリによるイザベラ・デ・メディチ

のちに初代トスカーナ大公となるコジモ・デ・メディチと妃エレオノーラ・ディ・トレドの娘として、フィレンツェで生まれた。妹にルクレツィア、兄にフランチェスコ1世・デ・メディチがいる。

11歳で、トスカーナ南部と接するブラッチャーノのコンドッティエーレ、パオロと婚約。1558年に結婚した。イザベッラは開放的な性格から男性関係の噂が数多く、特に夫の従弟トロイロ・オルシーニと、パオロの軍事作戦中の不在時に深い仲となった。パオロ自身も粗野で教養がなく、彼自身も愛人を持つようになった。

パオロが妻の不義に気づいてから、その凶行に及ぶまで時間はかからなかった。パオロの愛人と結託し、フィレンツェ近郊のヴィラ・チェレット・グイディで、イザベッラは夫の手で殺された。愛人とおそらく兄のトスカーナ大公フランチェスコ1世も共犯であったといわれている。数か月後、パリにいたトロイロも同じように暗殺された。フランチェスコは、この事件を黙殺したが、パオロたちは後に、教皇シクストゥス5世の追及を受ける事となった。

言い伝えによると、ローマ近郊の古城など、イザベッラがかつて住んだ数カ所の場所に、イザベッラの亡霊が絶えず出没しているという。





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