レジスタンス活動と内戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/06 02:34 UTC 版)
「マルコス・バフィアディス」の記事における「レジスタンス活動と内戦」の解説
1941年5月、ナチス・ドイツによるギリシア占領が始まり、収監されていたバフィアディスと他のギリシア軍人たちは、ガヴドス島を離れることを許され、ドイツの支配に反対する秘密組織の源流となった組織を始めた。その活動は、初期の頃はクレタ島を中心に、後にアテネやテッサロニキ、やがては全マケドニアに広がった。1942年に、バフィアディスはギリシア共産党中央委員会と、ギリシア人民解放軍(英語版)マケドニア部門の監督者に選出された。また1944年5月には、テッサロニキの代表として、エヴリタニア県のコリスチャデス村に設置された国民評議会(英語版)のメンバーに選出されたが、出席することは出来なかった。1944年10月にドイツ軍が撤退したあと、彼は代理人と共にテッサロニキへ移った。 1944年11月、バフィアディスらの勢力は中央マケドニアを解放し、残存ナチス・ドイツ勢力によって攻撃されていた数千人のユダヤ人を救助した。1946年2月、常備軍の創設を望んでいたギリシア共産党書記長ニコラオス・ザカリアディス(英語版)と決裂した。バフィアディスは、現行のギリシア政府が保有する軍事力が高く、ゲリラ戦術を用いるべきだと考えていたからである。 ところが1946年7月、ザカリアディスはバフィアディスをギリシア共産党ゲリラ部隊の指揮官に指名した。同年10月にギリシア民主軍(英語版)が発足し、バフィアディスが指揮官に就任。1947年12月には、ギリシア臨時民主政府(英語版)の首相と陸軍大臣に就任した。 ギリシア内戦の終盤で、バフィアディスとザカリアディスとの戦闘教義における不和は最高潮に達し、バフィアディスは1948年8月にギリシア民主軍指揮官を、1949年1月には全ての役職を罷免された。1950年10月に、彼はギリシア共産党から追放され、ソヴィエト連邦へと亡命。ギリシア民主軍の解体後から逃亡を続けた。
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