ルネッサンス期と産業革命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 05:09 UTC 版)
ルネッサンス期にあたる1500年頃には、レオナルド・ダ・ビンチによってねじ部品を使った様々な装置が製作され、締結用のねじ部品の利用が広がった。ほかにも実際に作られたかどうかは不明ながら、ねじ切り盤やタップ、ダイスのスケッチも見られた。 フランスの数学者ジャック・ベンソン(1500~1569)もねじ切り盤のスケッチを残しているが木製の機械で実用的でなかったとされている。 ドイツ人のゲォルク・アグリコラ(1494~1555)の著書にある鞴(ふいご)の図から、1500年前後には金属製のボルト、ナット、小ねじ、木ねじ類は出現していたと考えられている。15世紀にはフランスのルイ11世が金属製のねじで組み立てた木製ベッドを使用していた。 16世紀半ばになると、ねじは様々な場面で使われるようになった。懐中時計用の小さなねじや、銃に使う大きなねじ、甲冑用のボルトなどにねじが使われた。当時のリヨン近郊のフォレの町は、ねじ作りを専門にした町で、イングランドのミッドランド地方でも家内工業としてねじが作られた。ねじの作成には原始的な旋盤が使われていたが、1760年ミッドランド地方のジョブとウイリアムスのワイアット兄弟は手で刃を動かしてねじを切る代わりに、カッターで自動的にねじを切れるようにして、数分掛かっていた作業をわずか6,7秒で作ることができるようにするという画期的なねじ製造法を開発した。ワイアット兄弟は「鉄製ねじを効率的に作る方法」で特許を取り世界初のねじ工場を作ったが、事業は失敗に終わり、工場の新しい持ち主が事業化に成功し、その後蒸気機関の活用など各種の改善を経て、船や家具、自動車、高級家具などの需要の高まりとともに大量のねじが作られることになる。 18世紀の終わりまで、旋盤で物を作るのはヨーロッパ貴族の趣味の一つとなっていた。1762年にヨークシャで生まれ、ロンドンで精密機械を作っていたジェシー・ラムスデンは、当時天体観測用や航海用として使われていた精密機器の精度を上げるため、手作りで作る代わりに、より精密な旋盤を作ることによって達成するプロジェクトを始めた。ラムスデンは木製旋盤の代わりに金属製の旋盤を作り、カッターの先端にダイアモンドを使用し、11年かけて旋盤を使って旋盤の部品を作り、それを使ってさらに精密な旋盤を作り上げて旋盤を次第に精密にしていき、最後には千分の4インチという精度のねじを作り上げた。彼が作った高精度のねじは顕微鏡や天文学といった科学分野で活用された。船の経度と緯度を300mの誤差で割り出せる航海用観測機器ができ、キャプテン・クックなどの航海上の偉業が達成されることになる。
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