リビア侵攻とは? わかりやすく解説

リビア侵攻

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 16:02 UTC 版)

コンパス作戦」の記事における「リビア侵攻」の解説

本来は短期的な攻勢留める予定であった英軍更なる進軍決定17日にはリビア国境のカプッツォ砦を制圧伊軍は第2122軍団残余第23軍団を合流させて、バルディア防御陣地構え英軍迎え撃つ格好になった。既に歩兵師団カタンザロ』、『チレーネ』、黒シャツ師団1月3日』などが艦砲射撃戦力半減の状態にありつつも伊軍頑強な抵抗見せるが、制空権制海権抑える英軍連日の砲爆撃によって確実に伊軍戦力を削いで行った。また軍事指揮官の「電気髭」ベルゴンゾーリ将軍一か月分のしか用意する事が出来なかった。後方総指揮を取るグラツィアーニリビア入植者達を後方避難させつつ、ムッソリーニデルナへの退却進言するが、ムッソリーニ死守命令下すのみであった英軍は年の明けた1月3日総攻撃開始終日渡って爆撃続けられる中、1月4日遂にバルディア陣地陥落し伊軍4名が捕虜となった戦い参加したオーストラリアの歴史Baker Kevinは「彼等各部隊においては奮戦した」とイタリア軍将兵評している。 伊軍残余部隊2名はトブルク要塞退却し抵抗続け一部英軍退けるなどの活躍見せたが、トブルク防衛バルディア防衛劣化版と言わざるを得なかった。1月22日トブルク要塞陥落するリビア西方キレナイカ)の各部隊合流しつつ抵抗続けていた第10軍であったが、予想上の進軍速度見せ英軍2月5日ベンガジ占領し5000名の兵士拘束先手打って先回りし英軍伊軍第10軍を完全な包囲下に措く事に成功する命運尽きた第23軍団は包囲突破目指し最後突撃敢行したが、数日間戦闘の末に壊滅し指揮官ジュゼッペ・テレーラ将軍戦死したグラッツィアーニ元帥僅かに生き残った8000名の将兵と共にトリポリへ下がり、其処で総指揮官の辞任表明した後任にはイータロ・ガリボルディ将軍着任する事になる。

※この「リビア侵攻」の解説は、「コンパス作戦」の解説の一部です。
「リビア侵攻」を含む「コンパス作戦」の記事については、「コンパス作戦」の概要を参照ください。

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