リビア内戦以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 07:25 UTC 版)
「スルト (リビア)」の記事における「リビア内戦以降」の解説
2011年リビア内戦においては、スルトはカッザーフィー体制支持の姿勢を打ち出し、市民による反政府蜂起は起こらず、8月23日に首都トリポリが陥落し、カッザーフィー政権が事実上崩壊した後も、カッザーフィー派が立てこもり抗戦の拠点とした。降伏を促す勝利したリビア国民評議会(反カッザーフィー派)の投降勧告にも応じなかったため、スルトでは両派による激しい市街戦が起こった。2011年10月20日、リビア国民評議会がスルトを制圧すると同時に、カッザーフィーを拘束(後に死亡)したことにより、カッザーフィー派と国民評議会の内戦は幕を降ろすこととなった。 2015年現在、リビアはイスラム系のトリポリ政府、世俗派のトブルク政府、その他の中小武装勢力が割拠している状態で再び内戦に発展しかねない状況下にあり、スルトはISIL系武装勢力の実効支配下にある。背景にはリビア内戦で最大の激戦地となった事に加え、カッザーフィーを最後まで支持し、匿っていた事による新政府からの冷遇や、進まない戦後復興への不満が原因と考えられる。 2016年5月12日、リビア統一政府側の民兵組織はスルト奪還作戦の開始を発表。イスラム国勢力側に攻勢をかけ、同年中に市内の大部分を奪還している。
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