ランデダに属する小島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/14 16:25 UTC 版)
ランデダには多くの島が含まれている。 ゲニオック島 - 語源は不明。本土から2km離れている。長さは400m、幅は最も長いところで160m。木は生えておらず、芝で覆われている。太古には人が定住していた。ランデダに属する小島のうち、干潮時に徒歩で上陸できない唯一の島であるが、先史時代には本土とつながっていた。 ギャロ島(現在はサン=パビュの一部) - ブルトン語でシカを意味するgawrに由来する。キリスト教伝来前には、ケルトの神ケルヌンノスに捧げた礼拝の場所があったことが説明されている。19世紀後半まで島には定住者がおり、第二次世界大戦まで断続的に定住が行われた。20世紀半ばまで、島の牧場ではウマが飼育されていた。 ロシュ=アヴェル(ブルトン語では風の島を意味する) - ケアンや巨石の墳丘墓がある。 タリエック島 - 聖タリエックに由来する。礼拝堂と墓地を抱えた島で、定住者がいた。1840年には20箇所の小区画が牧場にされていた。島は砂の抽出で急速に、現在の小島であるグラン・タリエックとプティット・タリエックとに分かれた。 セゾン島 - Cézonという名称は、サクソンという名称の歪みから生じた(実際にはイングランドを意味する)。トレント海峡を保護するためローマ時代に防衛が強化された。この防衛設備の重要性は、重要な港として既に14世紀には記されていたポール・ド・ラベール・ヴラクにとって、常に不可欠であった。1685年にヴォーバンによって規模の大きな防衛事業が始められ、1694年に完成し、1695年には塹壕が作られた。この島は1889年に退役するまでは軍事要塞であった(1738年には現地採用要員の他に37人の常設軍がおり、火薬庫には2807リーヴルの火薬が収められていた)。フランス革命戦争やフランス第一帝政期、この島はイギリスから繰り返し攻撃を受けていた。第二次世界大戦中には島の戦略的重要性に目をつけたドイツ軍がブンカーを築き、機関銃の砲塔や弾薬ブンカー、兵士用のシェルターがあった。1957年に民間人所有者に対しフランス・ドメーヌ(fr、フランス予算担当省の内局)から島が売却され、1994年からは復旧が主題となっている。 スタガドン島 - アベール・ヴラクの入口に位置する。行政上はプルゲルヌーに属する。
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