ヨーロッパでの音楽祭やコンサート(1923年〜)
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「エリザベス・スプレーグ・クーリッジ」の記事における「ヨーロッパでの音楽祭やコンサート(1923年〜)」の解説
エリザベスの活動はアメリカ国内に留まらなかった。1923年にはローマのアメリカン・アカデミー(英語版)で音楽祭を開催し、以降、1930年代前半にかけての10年間に、ロンドン、アムステルダム、ブリュッセル、パリ、ウィーン、ベルリン、モスクワ、プラハ、ブダペストなどヨーロッパ各地で音楽祭を開催した。また、ベルギーのプロ・アルテ弦楽四重奏団(英語版)の演奏を非常に気に入り、彼女がスポンサーとなった「プロ・アルテ・クーリッジ・コンサート」を1923年から1940年まで開催した。 こうした演奏会は無料で行われ、演奏者の滞在費も全て主催者が負担したため、人々は古代ローマで文化を保護した政治家に因みエリザベスを「アメリカのマエケナス」と呼んだ。また、イギリスの実業家ウォルター・コベット(英語版)は室内楽に貢献した人物に「コベット・メダル(英語版)」を贈る事業を1923年から始めており、エリザベスは1924年に第2回コベット・メダルを受賞している。なお、後にエリザベスはこれに倣い、室内楽に貢献した人物を顕彰するための「クーリッジ・メダル」を1932年に創設している。 ヨーロッパ諸国の中でも特に彼女が愛したのはイタリアであり、1923年に同国を訪れた際にカゼッラ、マリピエロ、レスピーギ、ピツェッティなど当時のイタリアの若手作曲家たちと知り合った。とりわけマリピエロとは以後も親しく付き合い、エリザベスはヴェネツィアに近いアーゾロにあるマリピエロの別荘を定期的に訪れるとともに、彼が手がけていたモンテヴェルディ全集の校訂を財政的に支援した。また、カゼッラたちが同年に結成した新音楽協会(イタリア語版)(Corporazione delle Nuove Musiche)にも資金援助を行っている。
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