ヨーロッパでの運用法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 15:21 UTC 版)
ヨーロッパにおいてアーキバスを集中的かつ効果的に用いる戦術を開拓したのは、ネーデルラントの指導者オラニエ公マウリッツである。彼はまず1599年に軍制改革を行い新式の統一された軍隊を編成した。1600年のニーウポールトの戦いで、彼はスペイン軍から海岸沿い砦を奪い返すために浜辺を行進した際、先述のウィレム・ローデウェイクが考案した反転行進射撃を初めて実践した。ネーデルラント軍のアーキバス兵はいくつかに分かれ、それぞれの隊列を規律正しく維持しながら、スペイン軍に次々と一斉射撃を浴びせた。この戦いはネーデルラント軍の劇的な勝利に終わり、スペイン軍が4000人の犠牲者を出したのに対し、ネーデルラント側の損害は死者1000人、負傷者700人に過ぎなかった。ただし、アーキバス部隊はスペイン軍の熟練兵が組むテルシオの進軍を止めることができず、実際にネーデルラント軍に大勝をもたらしたのは反攻を成功させた騎兵隊だった。とはいえこの戦いは、後に銃が主役になっていくヨーロッパの近世軍事史における一大転換点だったと考えられている。 1550年代ごろから、長銃身の小火器全般を指していた「アーキバス」という名称は「マスケット」に取って代わられていった。これ以降、アーキバスと言えばマッチロック式を限定して指す言葉となった。
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