ヨーロッパとの海上貿易
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:20 UTC 版)
1415年にポルトガルのアヴィス朝がジブラルタル海峡のアフリカ側に進軍して、スーダンからの金が集められていた貿易港のセウタを占領した。これがポルトガルによるインド航路開拓のきっかけであり、ヨーロッパの大航海時代の先駆けとなった。ポルトガルのエンリケ王子はセウタの防衛を任され、アフリカ西海岸の貿易独占権を得てから、アフリカの金とインド洋の香辛料を求めて航海事業に力を入れる。15世紀のポルトガルはヨーロッパの他国に比べて戦争や内乱による混乱がなく、ヴェネツィアと競争関係にあるジェノヴァからの投資も受けた。この頃、クリストファー・コロンブスは西インド航路の開拓をポルトガルに提案したが受け入れられず、スペインのカスティーリャ王国に雇われることとなる。ポルトガルのキャラベル船はアフリカ西海岸沿いに南下して航路の開拓を進め、1488年にはバルトロメウ・ディアスがアフリカ南端を通過して帰路に喜望峰を発見した。ポルトガルに続いてイギリス、フランス、オランダもアフリカを南下して、海岸沿いには各国の城砦が貿易拠点として建設された。当初はヨーロッパの金属製品とアフリカの金、象牙、胡椒などが取り引きされていたが、16世紀には大西洋の奴隷貿易が主流となる。
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