ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/15 05:40 UTC 版)
「ウィリアム・アイザック・トマス」の記事における「ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民」の解説
1913年、ポーランドに出向いたトマスは、当時『Wychodźca polski』誌(「ポーランド移民」の意)を編集し、国外に出た移民たちの利益代表をする組織の役員をワルシャワでしていた、ポーランドの社会学者フロリアン・ズナニエツキと知り合った。ズナニエツキは、組織の研究をしていたトマスを支援し、貴重な資料を提供した。翌年、第一次世界大戦が勃発すると、ズナニエツキは周辺3カ国に分割されたポーランドが、その国々の戦争の戦場となる中、ポーランドを離れた。ズナニエツキは、シカゴへ渡ることを決意する。そしてトマスと再開するが、この時、トマスが正式にズナニエツキを呼び寄せたのかどうかは、判然としていない。いずれにせよトマスは、直ちにズナニエツキを研究助手として雇い入れた。やがてズナニエツキは、記念碑的な業績となった『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民 (The Polish Peasant in Europe and America)』(1918年–1919年)においてトマスの共著者となり、ルイス・A・コーザー(英語版)は同書を「アメリカ社会学研究における最初の重要なランドマーク」と呼んだ。同署においてトマスとズナニエツキは、一般的に文化を理解するために伝記記述的アプローチを用いた。さらにトマスとズナニエツキの業績は、特に民族性を理解するためのアプローチも編み出し、多くの点で同時代より抜き出ており、現代においても移民についてのトランスナショナリズム(英語版)研究の文脈で再発見されている。
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