ヤン・ウェンリー暗殺事件
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「銀河英雄伝説の戦役」の記事における「ヤン・ウェンリー暗殺事件」の解説
宇宙暦800年/新帝国暦2年6月1日2時55分。 5月20日、イゼルローン軍はラインハルトからの通信文を討議した上で、会見に応じる事を決定し、5月25日、ヤン及び随員のパトリチェフ、ブルームハルト、スール、加えてロムスキーとその側近達がラインハルトとの会見に応じるため巡航艦のレダIIで出発した。なお、ヤンの副官であるフレデリカは風邪で同行出来なかった。また、明確な理由は不明ながら、ヤンはユリアンを同行させなかった。 レダIIが出発して3日後、ボリス・コーネフ達がイゼルローンとの通信可能宙域に到着し、アンドリュー・フォークがヤンの暗殺を謀っているという情報をもたらした。ユリアンやシェーンコップ達は直ちにレダIIの後を追った。 5月31日23時50分、3次元チェスを終えたヤンは、自室に向かってシャワーを浴び、翌6月1日0時25分にベッドに入ったが、寝付けないため睡眠導入剤を服用して怪奇小説を読み始めた。0時45分、眠ろうとしたヤンの元に「帝国軍(の内部に浸透していた地球教の暗殺部隊)からフォークの暗殺計画と武装商船の奪取に関する通信が届いたため艦橋に来て欲しい」と連絡が入った。薬のため半分寝ぼけた状態のヤンが艦橋に出向いたのと前後して、フォークが乗っ取った武装商船を帝国軍の駆逐艦が破壊したと通信が入った。挨拶のため移乗したいという駆逐艦からの要請にスールは疑問を口にしたが、ロムスキーやその側近は要請を受諾した。レダIIに移乗した途端に本来の姿を現した地球教徒達は、ロムスキー達を射殺してヤンを探し始めた。事態の急変に気が付いたヤンの随員達は、ヤンを逃がす一方で応撃を開始したが、ヤンを奥の扉に押し込んだパトリチェフが射殺され、続いてスールが負傷した。 2時4分、レダIIと帝国軍の駆逐艦がいる宙域にユリシーズが到着し、ユリアンとマシュンゴ、そしてシェーンコップが率いるローゼンリッターの隊員達がレタIIに乗り込んで来た。ユリアン達は敵を倒しながらヤンを探し始めた。 2時40分、一人で船内を歩いていたヤンの前に、帝国軍の軍服を来た男が現れ、ヤンを銃撃してそのまま逃走した。太ももの動脈叢(そう)を撃ち抜かれたヤンは、多量の出血によって立っていられなくなり、通路の壁ぎわに座り込んで、そのまま意識を失くし、2時55分に死亡した。33歳であった。 3時5分、ユリアンがヤンの遺体を発見した。直後に現れた帝国軍の軍服を着た数名がユリアンの狂乱によって殴り殺された後、マシュンゴが死体を抱きかかえてシェーンコップ達の元に戻った。ブルームハルトの死を見届けたシェーンコップは、続いてヤンの死を知り、震える手で敬礼を施した後、ユリアンに敵が地球教徒である事を知らせた。ヤン達の遺体と生け捕りにした地球教徒をユリシーズに移した後、3時30分、ユリアン達はその場を離れた。 6月3日11時30分、ユリシーズがイゼルローンに帰還した。ユリアンはキャゼルヌ夫人に促されて自分でフレデリカに報告し、6日、司令官代行としてヤンの葬儀を行った。同日19時10分、イゼルローンから発せられたヤンの死を知らせる通信文を帝国軍が受信し、25分、ヒルダによってラインハルトの元に届けられた。ラインハルトは憤激にかられてヒルダに八つ当たりした後落ち着きを取り戻し、ミュラーを弔問の使者に指名した。 結局ラインハルトは喪中の敵を討つを潔しとせず、またミッターマイヤーはイゼルローン攻略に元より反対だった事から、帝国軍は撤退する事になった。ロイエンタールはヤン存命中の(採るべき)戦略が死後においてもそうとは限らない(ヤンがいたからこそイゼルローン攻略はすべきではなかったのであり、ヤンがいない今は攻略の好機)という事から撤退には賛成では無かったのだが、ラインハルトとミッターマイヤー双方が攻略に反対しているなら自分のほうが折れるべきという事で、撤退に賛成する事になる。翌7日、帝国全軍に撤退命令が発令され、各提督達は戦後処理に奔走する事となった。
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