モーグルフライト4の復元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 07:44 UTC 版)
「ロズウェル・リポート」の記事における「モーグルフライト4の復元」の解説
空軍報告が発表されたすぐ後、1947年のモーグル放球チームにいたチャールズ・ムーアは、モーグル計画フライト4の在り得た飛行経路の復元を試みようと決意した。フライト4は、失われて回収されなかった、そして空軍によってフォスター牧場で回収された残骸のありうる原因と認定された飛行計画である。 ケヴィン・ランドルなどの一部の研究家たちは、モーグル放球の当日の風向から、この飛行はこの事件を起こしうる候補から除外されると示唆していた。しかしムーアは風向を知っており、これらの気球が成層圏へと上昇したため、気球の飛行は簡単には推定されないことも知っていた。低層大気(対流圏)での風向が異なっていても、高層大気(成層圏)の風向は夏には東から吹く、とムーアは経験から知っていたのである。 フライト4の飛行経路を復元することの困難は、日記の記載以外に、どこにそれが飛行していったのかについて、少しの情報しかなかったことであった。気球と装置を追跡していたものについての唯一のヒントは飛行中にあった。レーダー、ソノブイおよび経緯儀が最初にモーグルの飛行を追跡しており、後者は重要であった。これらから、飛行はおよそ40マイルのレーダーの追跡範囲を越え、気球が漂流すると判明したので、ラジオゾンデのほうが選ばれ、後に捨てられることになった。他の飛行記録は存在し、それらはフライト2はレーダー追跡のためにレーウィン反射板を持っていたが、フライト5はラジオゾンデを持っていたことを示している。フライト4が失われたという事実と、フライト5が追跡のためにラジオゾンデを使用した事実が、フライト4をレーダーで追跡するのが不可能であったことの直接の結果であったことを強く示す、とムーアは推定した。もちろん、フライト4がレーダー反射板を持っていなければ、フォスター牧場の残骸の源ではありえなかった。 ムーアは彼が得られる限りの地元の気象と大気の情報を集め、フライト5と6から得られたデータを、フライト4が成層圏に入ったときのありえる旅行の方向修正に用いた。彼は元々のニューヨーク大学の記録に誤差を発見し、これを修正しなくてはならなかった。方位角がアラモゴードの磁気偏角を説明するために約12度だけ変えられた。これは気球の高度を著しく膨張させる効果を持っていた変化である。彼はさらに、これは上昇速度とどのくらい長く気球が空中にとどまったかの因子に影響を及ぼすと考え、気球が放球された一日の時刻(日記に記録されている)を考慮に入れた。 結果はフライト4がフォスター牧場の極めて近くに飛んでいく軌跡をえがいた。5や6などの、他の飛行計画では、続く日々の異なる風向のせいで、牧場の近くのいかなるところにも着地しえなかっただろう。ムーアの分析は、フライト4がフォスター牧場の残骸の原因であったことを証明するものではないにせよ、それにもかかわらずフライト4が原因として抹消されないことを確認した。 他の人たちは、ムーアの知見に対し、あらかじめ決定されている着地地点を確認するよう仕組んだものとして反論した。しかしムーアの意図はフライト4が牧場に着地しえたかを確認することであり、それが実際に起こったかどうかを証明することではなかった。結局ムーアの調査から得られた唯一の「確実なこと」は、その飛行の旅路を正確に繰り返すことはおそらく不可能であることと、そもそもフライト4が問題の牧場に着地しえなかったことが今までの議論において立証されていたのか否か、ということであろう。 デヴィッド・ルディアック(David Rudiak)はムーアの分析に詳細な反論を提出している。彼はこう言っている、「彼は不適切に彼の自身のデータを集めて彼の自身のモデルをでっち上げた。結局は、彼は単純に彼が求めた軌跡に強制的に飛行経路を合わせただけだ」。しかし、ロズウェルの討論でしばしば事実であるように、ルディアックの反論も詳細な反論を受けている。
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