メディアでの紹介によるブーム化
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「なんちゃっておじさん」の記事における「メディアでの紹介によるブーム化」の解説
なんちゃっておじさんのブームの始まりは、ラジオ番組への投書である。発端は作家のかぜ耕士がラジオパーソナリティを担当する深夜番組『たむたむたいむ』(ニッポン放送)であり、1977年5月27日、当時女子高生であった東京都文京区のリスナーから最初の目撃談が投書された。山手線での目撃談であり、前述のパターンのうちヤクザにまつわるもので、なんちゃっておじさんは40歳代の男性とのことであった。この投書内容は同番組の機関誌にも収録されており、なんちゃっておじさんに関する文献資料としては最古のものと見られている。これが大きな反響を呼んで同様の目撃談の投書が相次いだことで、同番組ではこれを2週にわたって放送した。しかし投書の中には、ほかの投書を真似て書いたと見られるものも多くなり、信憑性を欠いたことから、その2週間をもって紹介は取りやめられた。 続いて『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』(同局)のディレクターの1人がこの投書に目をつけ、同1977年10月に同番組内で紹介。同じ週に『タモリのオールナイトニッポン』(同局)でも取り上げられた。これらの番組に大量の目撃情報が寄せられて名物コーナーとなり、番組自体の人気が追い風となって日本中で大ブームとなった。『オールナイトニッポン』のディレクターを担当していた宮本幸一(後のニッポン放送専務取締役)によれば、ラジオパーソナリティである笑福亭鶴光が番組中で初めて本件を紹介した翌週には、視聴者からの目撃談が300通も寄せられたという。その一方では鶴光とタモリの間で、「どちらの番組がなんちゃっておじさんを流行させたか」との論争が展開されるまでに発展した。 後には日本ヘルスメーカー(後のカタログハウス)が「なんちゃって」のフレーズを広告に用い、なんちゃっておじさんをコマーシャルに起用することを狙って、翌1978年2月6日の朝日新聞上で「なんちゃっておじさんに同社のコマーシャルのことで相談がある」として情報を求める広告を掲載した。その広告料は120万円とも150万円とも見られている。これに対して50通から60通に昇る目撃情報が寄せられたことに加え、新聞、テレビ、週刊誌などマスコミ関係からの問合せが同社に殺到した。さらにテレビ局各社からは「なんちゃっておじさんが見つかったら、ニュースショーに出演してほしい」との打診が同社へあり、レコード会社からは「ナーンチャッテ・ブルース」なる楽曲をリリースしたいとの話もあった。これにより、なんちゃっておじさんはさらに有名な存在となった。肝心の本人からの名乗りについては、本人とおぼしき電話が同社へあったものの、「なーんちゃって」と言われて電話が切られたきりで、正体はつかめず仕舞いであった。 同1978年には、『週刊ポスト』『週刊朝日』『週刊サンケイ』などの雑誌記事にも掲載された。テレビでも取り上げられ、漫画にも登場した。刑事ドラマ『特捜最前線』でも第54話「ナーンチャッテおじさんがいた!」で扱われている(1978年4月12日放送。なんちゃっておじさんを演じたのは今福将雄)。『たむたむたいむ』に投稿したリスナーが、テレビのワイドショー番組に出演させられることもあった。
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