メイコンの不時着事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/30 04:18 UTC 版)
「メイコン (飛行船)」の記事における「メイコンの不時着事故」の解説
1935年2月12日、先の事故で破損した上部尾翼の補修が済んでいない中、メイコンは艦隊演習からサニーヴェールに戻る途中のカリフォルニア州サー岬沖で嵐に遭遇した。メイコンは乱気流に翻弄され、上部尾翼に取り付けられた未修復の17.5番リングが破断した。その結果として尾翼が横にずれ、風に耐えられずに一気に引きはがされた。その際に剥離した尾翼構造の一部が後部ガス嚢付近に突き刺さって穴をあけ、ヘリウムガスの漏洩が発生した。メイコンのクルー達は断片的な情報から、直ちにバラストの即時投棄の判断を下した。尾翼が失われた為に油圧が喪失して機首上げの状態のまま昇降舵操作が不可能になり、なおかつエンジン出力が全開のままであった為に、メイコンは機首を下げられずに圧力高度を超えて上昇してしまい、ガス嚢から大量のヘリウムが排出されて浮力が消滅した。 メイコンは4,850フィートから20分かけて降下し、カリフォルニア海岸沖に穏やかに着水すると、そのまま沈没した。暖かい気候と、アクロン号の悲劇の後に導入された救命胴着と膨張式救命いかだのおかげで、76名の乗組員中、死者は2名だけだった。その2名の死も、防げたはずのものであった。そのうちの一名である一等無線士のアーネスト・エドウィン・デイリーは、メイコンが降下している最中に、高高度から飛び降りて死亡した。もう一人の死者である一等給仕のフロレンティーノ・エドキーバは、不時着後に私物を取り戻そうとメイコンに泳ぎ寄り、結果として沈没に巻き込まれた。遭難の直接的な原因は、尾翼構造の破壊と尾翼損失後の操船ミスであった。圧力高度を超えて上昇した事によってガス嚢が限界まで膨張し、ガスが放出されさえしなければ、メイコンはモフェットフィールドに引き返すことができたはずであった。 メイコンは就役期間中に50回の飛行を行い、1935年2月26日に海軍リストから抹消された。以後、海軍の使用する飛行船は軟式飛行船のみとなり、戦後はモフェットフィールドの飛行船格納庫もNASAに移管された。21世紀になってからもなお木製の格納庫は残存した為に、ディスカバリーチャンネルで放送中の怪しい伝説の撮影に使用されている。
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