ムダルニズマの中心地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/30 06:26 UTC 版)
美辞麗句を並べ立てた宣伝文句に反して、実際には「四匹の猫」は来店客を軽視する経営方針を取っていた。数きれのトマトとしなびたレタスによる「サラダ」、卵が1個しかなかったため白身と黄身を半分ずつ皿に盛り付けた「目玉焼き2人前」、バルセロナ港で捕まえたカモメを調理した「鳩肉料理」などが提供された。店内を不潔な状態で維持することも経営方針のひとつだったが、これは常連客である薄汚いボヘミアン芸術家に対する気遣いでもあった。 イベリア半島や南アメリカには、知識人や芸術家がカフェなどに集まって文学や芸術について軽い議論を行うタルトゥリア(スペイン語版)という集会の伝統がある。例えばペラヨ通りのカフェ・ペラヨでは、劇作家のアンジェル・ギマラー、建築家のリュイス・ドゥメナク・イ・ムンタネー、詩人のジャシン・バルダゲー、建築家のアントニ・ガウディなどが集まってタルトゥリアを行っていた。知識人は新聞や雑誌以外の場で意見を交わすことができ、よく知られたタルトゥリアの場にはバルセロナ市民が見物客として集まったという。「四匹の猫」はタルトゥリアの伝統を受け継いでおり、またパリのキャバレー「ル・シャ・ノワール」からもインスピレーションを受けている。このためカフェとしての営業に加えて、美術展覧会、文学や音楽の集会、人形劇芝居、影絵芝居などが開催された。 パリでは人気があった影絵芝居はバルセロナでは受けず、逆に人形劇芝居は大人気で1903年の閉店まで続いた。常連客はボヘミアン芸術家だったが、人形劇芝居の公演の際には上流階級の子ども連れも集まった。子どもは人形劇芝居に夢中となり、逆に大人は普段は接する機会がないボヘミアン芸術家を観察することを愉しみとした。カタルーニャ出身でロンドンとパリに住んでいたピアニストのイサーク・アルベニスが人形劇芝居のテーマソングを弾くこともあった。 店内の一角には芸術家の指定席である長机が置かれ、そこにはカザスやルシニョールなどの大物芸術家が座った。一方でやや離れた場所には若手芸術家のグループが座り、ピカソなどがそこに座った。彫刻家のフリオ・ゴンサレスもバルセロナ時代には「四匹の猫」に通った。イシドラ・ノネイ(スペイン語版)、ホアキン・ミール(スペイン語版)、ピカソの親友だったカルロス・カサヘマス(スペイン語版)、ジャウマ・サバルテス(スペイン語版)などもこのカフェに出入りしていた。「四匹の猫」の営業におけるカザスのパートナーはペラ・ルメウであり、ルメウはルシニョールやウトリーリョなどと同様によくカウンターに立った。ピカソの最初期の個展を含めて、何度か展覧会を開催した。「四匹の猫」に展示されている芸術作品の中でもっとも傑出した作品はカザスによる自画像である。この作品でカザスはルメウとともにタンデム自転車のペダルをこぎながらパイプを咥えている。
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