ミスタードラゴンズとは? わかりやすく解説

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ミスタードラゴンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/13 04:31 UTC 版)

ミスタードラゴンズは、日本プロ野球(NPB)・セントラル・リーグ(セ・リーグ)の球団、中日ドラゴンズの中心選手に与えられる称号である。


注釈

  1. ^ 『中日新聞』紙面にて「ミスタードラゴンズ」の単語が使用された初の事例は『中日新聞』2006年4月8日朝刊第一スポーツ面27面記事「立浪サヨナラ満塁弾、自らも息吹き返す」(記者:鵜飼哲也)の記事上で当時現役選手だった立浪を指して使用された例である[5]。なおそれ以前に『毎日新聞』1999年2月8日東京朝刊記事でも立浪を指して「ミスター・ドラゴンズ」の単語が使用されていた[1]
  2. ^ 西沢は1977年[13]・高木は2006年[14]・立浪は2019年にそれぞれ殿堂入りした[15]
  3. ^ 同シーズンはこれに加えて同じく自己最多の135打点も記録したが、ともに2006年にタイロン・ウッズが47本塁打・144打点を記録するまで56年間にわたり球団最高記録だった[27]。また同年は打率3割・30本塁打・100打点・100得点を記録したが、中日の選手としてこの記録に到達した人物は2019年時点で西沢以外に福留(2006年)のみである[28]
  4. ^ 中日球団の永久欠番は15番以外に10番(服部受弘)のみである。なお杉下茂も1958年に西沢・服部とともに背番号20の永久欠番指定を打診されたが固辞している[30]
  5. ^ このバックトスは「横着だ」と非難する声もあったが「むしろ正確性を重視し、捕ってから投げるまでを一連の動作にする」ことが狙いであり、高木自身はこの動作を「捕ってから体を回すという無駄な動作がないので、速いしミスも防げる」と述べている[33]
  6. ^ 高木が監督を務めた2012年・2013年の球団スローガン「join us~ファンと共に~」をもじった俗称。
  7. ^ 2007年シーズンは巨人がセ・リーグ優勝を果たしたが、中日(リーグ2位)は同年より導入されたクライマックスシリーズ(CS)にて巨人を破って日本シリーズ出場権を獲得し、日本シリーズでは北海道日本ハムファイターズ(同年パ・リーグ優勝、CS突破)を4勝1敗で破り日本一に輝いた。さらにその後、2007年のアジアシリーズでも優勝したことにより球団史上唯一のアジアチャンピオンにも輝いた。
  8. ^ 2009年8月5日の中日対阪神第13回戦(ナゴヤドーム)にて[3]
  9. ^ 野球殿堂の競技者表彰は2008年度以降「プレーヤー部門」と「エキスパート部門」に分離された。
  10. ^ ドラゴンズの歴代監督で星野以外に複数回優勝を達成した監督は2004年2006年、さらに2010年2011年(球団史上初のリーグ連覇)と計4度のリーグ優勝を達成した落合博満(現役時代の1987年にロッテオリオンズから移籍)のみである。
  11. ^ プロ野球珍プレー・好プレー大賞2001 ありがとうミスター!大感謝スペシャル』(2001年11月16日・フジテレビ系列放送)では同年限りで中日監督を辞任した星野が巨人監督を辞任した長嶋茂雄とともに取り上げられたが、同番組を紹介した『朝日新聞』2001年11月13日夕刊のテレビ番組案内では「さよなら、怒れるミスタードラゴンズ」というフレーズが使用されている[47]
  12. ^ 山本が現役だった2011年にもドラゴンズはリーグ優勝(球団史上初の連覇)を達成しているが、山本は同年の一軍公式戦に登板していない。
  13. ^ PL学園高校時代・1995年のドラフト会議では「意中の球団」として挙げていたドラゴンズ・巨人を含めた7球団から1位指名を受け、抽選の結果近鉄バファローズが交渉権を獲得したが入団拒否している。
  14. ^ 中日がナゴヤ球場からナゴヤドームへ本拠地を移転した1997年以降、2019年までに年間30本塁打以上を記録した日本人選手は福留(2003年・34本塁打、2006年・31本)と和田一浩2010年・37本)の2人のみである[56]
  15. ^ 2005年2月5日朝刊記事では「ミスター・ドラゴンズ」[2]、2006年10月17日朝刊記事では「PL学園の先輩・立浪に代わる『ミスタードラゴンズ』に成長した」と述べられている[57]
  16. ^ 高橋は2011年度のドラフト会議で1位指名を受けて東海大学付属甲府高校から入団し、2015年から立浪の背番号3を継承したほか、2019年シーズンより主将を務める。2019年オフに立浪の野球殿堂入りを祝う会に出席した際、中締め挨拶で「いつかは立浪さんのように『ミスタードラゴンズ』と呼ばれる選手になりたい」と述べている[58]
  17. ^ 京田は2016年度のドラフト会議で2位指名を受けて日本大学硬式野球部から入団した際の記者会見で「目標の選手は立浪さん。『ミスタードラゴンズ』と呼ばれるようになりたい」と目標を掲げており[11][59]、プロ1年目となる2017年には球団の野手として立浪以来29年ぶりとなる新人王を獲得した[60]。『中日新聞』では新人王受賞時に「(京田には)ミスタードラゴンズになってほしい」というファンの声が掲載されていたほか[60]、2019年シーズンからは高木と同じ背番号1を着用している[61]
  18. ^ 根尾は2018年度のドラフト会議で1位指名を受けて大阪桐蔭高校から入団し、京田と同様に立浪を目標としている[62]与田剛監督[63]・ファンからは「ミスタードラゴンズになってほしい」と期待を掛けられている[64][62][65]
  19. ^ 石川昂は2019年度のドラフト会議で1位指名を受けて東邦高校から入団し、高木の死去翌日(2020年1月18日)にはトークショーで「ミスタードラゴンズ」の継承を目標に掲げている[66]
  20. ^ 郡司は2019年度のドラフト会議で4位指名を受けて慶應義塾大学野球部から入団し、新人選手入団発表で「『ミスタードラゴンズ』と呼ばれるようになりたい」と述べている[67]

出典

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  2. ^ a b c 『毎日新聞』2005年2月5日東京朝刊第一運動スポーツ面21頁「挑戦:プロ野球 中日・福留孝介外野手」(毎日新聞東京本社記者:仁瓶和弥)
  3. ^ a b c 『毎日新聞』2009年8月6日大阪朝刊運動スポーツ面16頁「プロ野球:中日3-1阪神 中日・立浪、ミスター並んだ ベテラン、2471安打7位」(毎日新聞大阪本社
  4. ^ 読売新聞』2009年12月28日東京夕刊スポーツB面4頁「09年引退選手の一言 さよなら 世界の愛 Mr. ドラゴンズ…」(読売新聞東京本社
  5. ^ a b c 『中日新聞』2006年4月8日朝刊第一スポーツ面27頁「プロ野球 セ・リーグ 中日4連勝 中日5-1巨人」「立浪サヨナラ満塁弾、自らも息吹き返す」(記者:鵜飼哲也)「立浪2351安打 歴代10位『打撃の神様』に並んだ」(中日新聞社)
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  7. ^ a b c d e 大山 2013, p. 122.
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  68. ^ 次原隆二 『ドン・ボルカン-聖なる男の伝説-』 1巻、集英社〈ジャンプ・コミックス〉、1992年1月。ISBN 978-4088712345 


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