マルガリタ・マリアの神秘体験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/19 19:16 UTC 版)
「聖心」の記事における「マルガリタ・マリアの神秘体験」の解説
今日の聖心崇敬の隆盛を決定づけたのは、聖母訪問会(ヴィジタシオン会)の修道女で聖人のマルガリタ・マリア・アラコクの「キリストの姿を見た(en:Visions of Jesus and Mary)」という神秘体験である。神秘体験の前にマルガリタ・マリアが聖心崇敬について知っていたという証拠はない。神秘体験は幾度も起き、その中でも次のものが重要とされている。 おそらく1673年の福音記者ヨハネの祝日(12月27日)にマルガリタ・マリアが述べたところによれば、イエスが彼女の頭をイエスの心臓の上にもたせかけ、彼女にイエスの愛の奇跡を示し、これらの奇跡を世の全ての人に知らしめ、神の宝を広めることを望んでいること、そしてこの任に彼女を選んだことを伝えた。 おそらく1674年の6月か7月に、マルガリタ・マリアが述べたところによれば、イエスがその心臓の図像のもとであがめられることを求め、また愛に輝くイエスが現れ贖罪の愛の信仰、すなわちコムニオンの頻繁な受領、特に月の最初の金曜日のコムニオン、そして聖時間(英語版)の信心を求めた。 1675年の聖体の祝日のオクターヴ(8日間)の期間、おそらく6月16日に、「大いなる出現」と呼ばれるヴィジョンがあり、イエスが「人々をこれほどまでに愛したこの心臓を見よ(中略)私は(人々の)多くからは感謝ではなく忘恩しか受けていない」と述べ、マルガリタ・マリアに聖体祝日のオクターヴ後の金曜日に償いの祝日を執り行うように求め、またド・ラ・コロンビエール神父に相談するよう命じた。ド・ラ・コロンビエール神父は当時パレ・ル・モニアルの小さなイエズス会修道院の院長であった。フランス王には厳重な祈祷が求められ、聖マリア訪問会の宗教者とイエズス会の神父にこの新しい崇敬を広める任務が特に与えられた。 「大いなる出現」の数日後、マルガリタ・マリアは彼女が見た全てをド・ラ・コロンビエール神父に報告した。このヴィジョンが聖霊によるものと認めた神父は、自らを聖心に捧げるとともに、マルガリタ・マリアにイエスの出現について書き記すよう命じた。更にこの彼女が書いた報告を、ありとあらゆる機会をとらえて、密かにフランスとイングランド中に回覧した。1682年2月15日に神父が死すと、その精神修養を記した日誌中に、神父自身の手になるマルガリタ・マリアの報告の写しと、聖心崇敬の有用性についての考察が見つかった。 ド・ラ・コロンビエール神父の日誌は1684年にリヨンにて小冊として出版され、広く、特にパレルモニアルにて読まれた。マルガリタ・マリアは本の内容に対して「恐ろしい混乱」を覚えたと述べているが、これを最大限利用して、彼女の神秘体験を広める手段として認めることとした。聖心崇敬は聖マリア訪問会の外に聖俗を問わず広がり、中でもカプチン・フランシスコ修道会、マルガリタ・マリアの2人の兄弟、そして一部のイエズス会士が熱心に信仰した。イエズス会のクロアゼット神父は、マルガリタ・マリアを通じてイエスが執筆を命じたとする『イエスの聖心に対する崇敬』と題する書物を著わし、また同じくイエズス会のジョセフ・ド・ガリフェット神父も聖心崇敬の普及に務めた。
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