マルカーノのルーツについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 08:12 UTC 版)
「ボビー・マルカーノ」の記事における「マルカーノのルーツについて」の解説
マルカーノ、ケルビーニ、ともにイタリアでは一般的な姓である。 藤井薫の著書によれば、マルカーノが語った先祖に日系移民がいるという新聞記事から、天草在住の浦本家の男性が自分の祖父の弟、山田万造がマルカーノの先祖ではないかとマルカーノに手紙を出し、新聞に報道された。その男性や親族の話によると万造は、天草から上海に密航し、そこからさらに南米へ労働移民船で渡り、鉱山で労働し、いったん山を降りて商売を始めたが、失敗したのか再び鉱山で働くようになったころまで故郷と手紙のやり取りがあったという。なお、手紙は散逸し、送り先も万造が手紙の中に住所を書いて同封してきた返信用封筒で送っていたため、送り先は南米であるということくらいしかわからないという。 藤井のベネズエラでの調査では、ボビー・マルカーノの曾祖父がフランクリーノ・トモウラという日本人ふうの名字で、フランクリーノと現地女性との息子クワン・アントニオ・トモウラの写真の外見が日本人らしいこと、曾祖父一家はサーカス団を率いてペルーからベネズエラへ移ってきたということはわかった。クワン・アントニオ・トモウラの息子がボビー・マルカーノの実父ミゲル・マルカーノで、母の姓を名乗ったため、トモウラ姓は名乗らなかった。 藤井は、浦本家の男性の山田万造はサーカスをやっていてペルーからベネズエラに移ったらしいという証言、ベネズエラに戦前に移民した日系人から聞いた1928年に出会ったサーカス団のリーダーがフランクリーノ・トモウラらしく日本人それも天草出身だと言った証言、トモウラは浦本の変名ではないか(万造の兄=天草の男性の祖父が浦本家へ婿入りしたので、万造も一時期浦本家で生活をし、浦本の万造と呼ばれていた)という推測から、フランクリーノと万造を同一人物と判断しているが、山田万造がフランクリーノ・トモウラであること、フランクリーノが日系移民であることの直接的な証拠は示されていない。 福本豊によると、マルカーノのルーツが日本にあるという記事が最初にスポーツ新聞に載ったのは1978年のシーズン中だった。英語で話しかけた記者に対して自らのルーツを明かしたが、カラカスに住む叔母と電話して詳細を確認するので紙面に出すのはその後にしてほしいという依頼を守らず即座に記事にされたことに立腹し、以後その記者とは話さなかったという。
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