マラソン日本代表から引退表明、のち復帰宣言・引退撤回へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 07:01 UTC 版)
「川内優輝」の記事における「マラソン日本代表から引退表明、のち復帰宣言・引退撤回へ」の解説
2017年8月の世界陸上ロンドン大会・男子マラソンで9位だった川内は、帰国後報道陣に対し「(世界陸上に)3回も挑戦したのに結果を出せず悔しい。だが、2020年(8月開催予定)の東京オリンピック(男子マラソン)は暑さも加わるので、これ以上の順位(9位)を臨むのは難しい。今後は若い選手達の刺激になるような存在に成れれば良い」と語り、若手へのバトンタッチとマラソン日本代表を引退する意向を仄めかしていた。同年8月15日に地元・埼玉県久喜市の「世界陸上報告会」へ登場。その席で川内は、自ら東京五輪挑戦の完全否定と共に「今後は日本代表という立場ではなく、自分の時間の中で海外の試合に多く出ていきたいと思います。世界中の大会に出て人脈を作り、日本人でもこういう形で世界で戦える処を見せていきたい。好きな大会で好きなだけ走り、これからも自分を追い込んでいきます」とコメント。ところが、日本陸連・マラソン強化戦略プロジェクトリーダーの瀬古利彦は、川内の代表引退報道に関して「勿体無い。辞めないで、もっとやって欲しい」と頭を抱えつつ、縋るように熱弁を奮っていた。 それから1年3か月経過後の2018年11月18日、翌2019年3月限りで埼玉県庁を退職・4月よりプロランナー転向を表明した川内は、上尾シティマラソン(ハーフの部)のフィニッシュ後に自ら「2019年世界陸上ドーハ大会の男子マラソン日本代表を目指す」と、日本代表からの引退撤回を宣言。その理由について川内は「結局、公務員プラス日の丸の重圧が厳しかった。公務員なのに『走ってばかりいやがって』みたいに言われ続けたので。プロになれば、十分に日の丸のために仕事を休んでいいじゃないですか」と語り続け、「ドーハ世界陸上・男子マラソンの号砲は深夜0時スタートと聞いた。それならば気温30度を超えないし、涼しい気象条件で上位が狙える」を気合を入れ直していた。同年12月、防府読売マラソンで4回目の覇者となった川内は「今迄多くの人に応援してもらったので、(公務員ランナーとして最後が)ひっそり終わるのも嫌だし、テレビ中継があるびわ湖(毎日マラソン)で今後が楽しみと思えるような走りが出来れば。自己記録更新とはいかないまでも、サブ10は達成したい。そうすれば(2019年9月開幕のドーハ)世界陸上が見えてくる」と更なる意欲を述べたものの、東京オリンピック重要選考会のMGC出場については「あくまでドーハ世界陸上がダメだったらの話で、MGCと世界陸上と続けて2レース出走する気は頭にない」と、改めて東京五輪への挑戦は消極的なコメントを述べていた。 2019年5月28日、世界陸上ドーハ大会・男子マラソン代表に選出、プロランナーとして日本代表復帰を表明する。その席で川内は「MGCには出走しないが、残り1枠のMGCファイナルチャレンジで東京五輪代表選出へ是非挑戦してみたい」とも語っていた。
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