マネーサプライ目標
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 22:11 UTC 版)
「名目所得ターゲット」の記事における「マネーサプライ目標」の解説
「サッチャリズム」、「サプライサイド経済学」、および「スタグフレーション」も参照 欧米主要中央銀行は、1970年代にはマネーサプライを金融政策運営上の中間目標に位置付けていたが、1980年代から1990年代にかけて、マネーサプライを中間目標に位置付ける政策運営を止めるようになった。2002年現在では、「金融政策は、短期金利の操作を通じて実体経済などに影響を及ぼし、物価の安定を目指す」という考え方が主要となっていた。中央銀行は金融調節を、マネーサプライを中間目標として用いる方式から金利操作によりインフレ目標を達成する方式へと転換した。 経済学者のジェフリー・フランケルは、1980年代に入ると主要国はマネーサプライ目標を打ち出したが、結果的にはそのマネタリズム的なアプローチは失敗に終わったとしている。その後いくらかの先進工業国は目標値をマネーサプライからインフレーション率へと変えたが、その目標が未達成になることがしばしばだったとしている。 1980年代のイギリスではマーガレット・サッチャーによるマネタリズム色の濃い政策が打ち出され、当初イングランド銀行はマネーサプライ(ここではsterling M3)を目標としたが失業率が悪化した。サッチャー政権が始まった当初は150万人だった失業者(失業率は6%を下回っていた)が、物価が急上昇し1980年には20%のインフレ率を記録したために政策金利を上げることで対処した。1982年にはM1も目標値とした。だが過度のインフレ抑制によって、失業率は1984年には330万人(失業率12%)に達した。 サッチャー政権は原理的マネタリズムを実質放棄する形で、リフレーション政策に軌道修正した。1980年代後半にはイングランド銀行が非公式な為替ターゲットをちらつかせ拡張的金融政策をとり、1987年にはマネーサプライ目標を断念した。その結果として経済は緩やかに回復し、1990年には失業者は160万人(失業率は8%)まで減少した。だが国内の所得格差は拡大し、サッチャー以前は0.25だったジニ係数は1990年には0.34にまで上昇した。 サッチャー率いる保守党政権がイギリス北部スコットランドの鉄鋼産業や炭鉱業などを衰退させたために、スコットランドでは保守党に対する嫌悪感が強い。2011年の時点でスコットランド選挙区の59ある議席のうち労働党が41議席であるのに対し、保守党は1議席しか保有していない。 エコノミストの坂東俊輔は「マーシャルのkの上昇、経済の開放度合いの高まり、変動相場制への移行などを通じて、ASEAN諸国において公開市場操作によるマネーサプライ管理の重要性が高まっている。先進国においては近年(1998年)、政策目標・政策手段との間に中間目標を設定し、政策を運営する方法が一般化している。そうした目標の一つに、マネーサプライが入っている。マネーサプライは数量変数であるため、金利のような価格変数よりも貸出量・設備投資などとより密接な関係があるからというのが通説である。ただし、マネーサプライ管理は一つの重要な指標ではあるが、マネーサプライの安定的な管理=経済の安定というわけではない」と指摘している。
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