ボッシ失脚(2009-2012)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 03:17 UTC 版)
「同盟 (イタリア)」の記事における「ボッシ失脚(2009-2012)」の解説
総選挙で北部同盟はパダーニア事件により低迷が続いていた党政を回復させたが、同盟内の党内対立は解消されずにむしろ深刻な段階に至っていた。コリエーレ・デラ・セラは今や同盟は4つの派閥に分裂していると指摘している。2009年から本格化した党内対立で同盟内は「魔法陣」(cerchio magico、チェルキオ・マギコ)と揶揄されるマルコ・レッグツォーニ議員らを中心とした親ボッシ派、第3次ベルルスコーニ内閣で同盟出身の閣僚となったロベルト・カルデロリを中心とする中立派、ボッシの路線に批判的だったロベルト・マローニらの派閥に三分された。またジェン・パオロ・ゴッボ欧州議員らヴェネト州の同盟支部は次第に指導部と距離を取る動きを見せていた。 この中でも特にマローニは北部同盟の地盤であるロンバルディア州で支持を集めており、ボッシの後続に押す風潮が強かった。マローニ自身も積極的に動き、党執行委員会などを通じて主導権を握ろうとした。2010年、マローニら穏健派は同盟内の世代交代を強く訴え、徐々に親ボッシ派を党内で追い落としていった。2011年にはカルデロリら中立派とも連合して党内の主導権を奪う所にまで漕ぎ着けた。しかし依然として同盟の精神的指導者でもあったボッシの権威は決定的には揺るがず、対立は長期化の様相を見せ始めた。 2012年4月3日、際限なく続くかと思われた派閥対立は思わぬ形で決着を迎える。同盟内で政治資金の大規模な横領疑惑が持ち上がり、会計責任者フランチェスコ・ベルシトが横領・詐欺・マネーロンダリングなどの容疑で告発される事件が起きた。フランチェスコが横領した政治資金はボッシ家の口座に送金されていた他、彼の派閥に属する人間にも裏金として分配されていた。マローニは直ちに会計責任者の交代を要求し、数時間後にフランチェスコは辞任した。2012年4月5日、ボッシは同盟書記長からの退任を声明した。表向きは勇退という形が取られて新たに党首の役職が与えられたが何の権限も無い名誉的な役職であり、事実上の失脚に追い込まれる形となった。またフランチェスコらボッシ派の有力者は同盟から追放された。 同盟の執行会議では3名の理事による合議制・集団指導体制への再編が決定され、ロベルト・マローニがその一人に選出された。創設者が関与した横領疑惑は同盟の結束を失わせ、同時期に準備していた地方選挙にも混乱が波及した。体制の建て直しが急がれる中、マローニ派は旧ボッシ派の抵抗を退けて同盟党員が集中するロンバルディア州とヴェネト州の政治集会で支持を集めた。2012年7月1日、マローニの第2代同盟書記長就任が決定された。マローニ体制では各州の同盟支部に大幅な権限委譲が行われ、同盟が目指す所の連邦制に基いた分権的な組織作りを更に推し進めた。 2013年2月24日から2月25日に行われた2013年イタリア総選挙で北部同盟は内紛と汚職疑惑、そしてこれまで助力してきたベルルスコーニ政権への批判票などから地方主義者や労働者層の支持が急落し、また若者や急進派の支持はインターネット政党として話題を集めていた五つ星運動へ奪われて完全に埋没してしまった。北部同盟は全体得票率は4.1%にまで下落する大敗となり、改選前議席の7割を失って小政党へと転落した。それでもロンバルディア州知事選挙では国政与党であるイタリア民主党の現職知事を破ってマローニが当選し、州議会選挙でも25%の議席を確保するなど地方選挙で意地を見せた。2013年9月、マローニは約1年程で同盟書記長を辞任した。
※この「ボッシ失脚(2009-2012)」の解説は、「同盟 (イタリア)」の解説の一部です。
「ボッシ失脚(2009-2012)」を含む「同盟 (イタリア)」の記事については、「同盟 (イタリア)」の概要を参照ください。
- ボッシ失脚のページへのリンク