ブレヒトの演劇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 14:49 UTC 版)
「ベルトルト・ブレヒト」の記事における「ブレヒトの演劇」の解説
ブレヒトは自身の演劇を「叙事的演劇」(Episches Theater) と呼び、従来の演劇(「劇的演劇」、Dramatisches Theater)と自身のそれとを区別した。ブレヒトによれば「劇的演劇」は、観客を役に感情移入させつつ出来事を舞台上で再現(リプレゼンテーション)することによって観客に様々な感情を呼び起こすものであり、それに対して「叙事的演劇」は役者が舞台を通して出来事を説明(デモンストレーション)し、観客に批判的な思考を促して事件の本質に迫らせようとするものである。ブレヒトはこのような「叙事的演劇」を、悲劇を観客にカタルシスを起こさせるものとして定義したアリストテレスに対して「非アリストテレス的」と呼び、一方「劇的演劇」を現実から目を背ける「美食的」なものだとして批判した。 ブレヒトの「叙事的演劇」の演劇論として特によく知られているものが「異化効果(英語版)」(Verfremdungs-effekt) である。これは日常において当たり前だと思っていたものにある手続きを施して違和感を起こさせることによって、対象に対する新しい見方・考え方を観客に提示する方法を指している。この「異化効果」の用語はブレヒトが使い始めて以降一般的な文学理論として扱われるようになり、フランツ・カフカなどブレヒト以前の作家に対しても用いられるようになった。 ブレヒトの後継者と目される劇作家にハイナー・ミュラーがいる。ミュラーはブレヒトの『ファッツァー』を「百年にひとつの作品」としているほか、ブレヒトの『アルトゥロ・ウィの興隆』などを演出してもいる。 日本では千田是也と岩淵達治がブレヒト研究の中心人物である。千田は『ブレヒト戯曲選集』(1958年 - 1962年、岩淵等と共訳)、『ベルトルト・ブレヒト演劇論集』(1975年)の編集翻訳や俳優座での上演などを行っており、初期のブレヒト紹介の中心人物であった。千田に師事していた岩淵達治は、『ベルトルト・ブレヒト作業日誌』(1976年 - 1977年)、『ベルトルト・ブレヒトの仕事』(1972年 - 1973年)を共訳で、また岩淵個人訳で『ブレヒト戯曲全集』(1998年 - 2001年)を刊行、また『ブレヒトと戦後演劇』(2005年)で、千田の翻訳の批判的検証をしている。岩波文庫『三文オペラ』は、1961年に千田訳が、新版が2006年に岩淵訳で刊行された。若き日に演劇に熱中していた筒井康隆にも大きな影響を与え、長編『馬の首風雲録』は『肝っ玉おっ母とその子どもたち』のSF版ともいうべき物語となっている。
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