ブランメル仙台
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「東北電力サッカー部」の記事における「ブランメル仙台」の解説
1994年 11月1日、ブランメル仙台が正式に発足し、初代監督に鈴木武一が就任した。なお、プロ契約は鈴木武一および選手兼任コーチの鈴木淳のみで、残りの選手は東北電力社員のまま参加することとなった。 1995年 1月、地域決勝に参戦しNTT九州などと同組のグループBに入り、2戦2勝の成績でグループリーグを突破。決勝ラウンドも2勝1敗(1PK負)の成績で優勝し、同年からジャパンフットボールリーグ(JFL)へ昇格した。 JFL昇格当初は特にV川崎の選手を補強しチーム編成したが、16チームによる2回戦総当たり形式のリーグ戦で仙台は勝点27の15位。なお、2度目の出場となった天皇杯の1回戦でジェフユナイテッド市原(現:ジェフユナイテッド市原・千葉)に勝利した。 また、当時のホームスタジアムだった宮城県サッカー場(利府町。地図)および宮城野原公園総合運動場宮城陸上競技場(仙台市。2009年に「仙台市陸上競技場」に改称。地図)にはナイター設備がなかったため、平日のデーゲーム開催も行った。なお、この年にJリーグ準会員として承認された 1997年 6月、泉区・七北田公園内に仙台スタジアムが開設。リーグ戦は勝点40の8位。また、ナビスコ杯に初参加。Jリーグ勢3チームとグループリーグ戦を戦うも、1分5敗の最下位。 1998年 Jリーグ2部制開始を翌年に控える関係で、JFLはこの年をもって終了。JFLリーグは勝点43の7位に終わり、J1参入決定戦への出場はならなかった。ナビスコ杯はグループリーグ4戦全敗で敗退。天皇杯は3回戦で横浜マリノス(現:横浜F・マリノス)に勝利した。なお、健康食品メーカー「ジャパンヘルスサミット」とユニフォーム(胸部分)スポンサー契約を締結。同社の商品名「カニトップ」がユニフォームの胸部分に付くようになった。 クラブは1999年よりJリーグへ正会員として加盟して、Jリーグ ディビジョン2(J2)へ参加、「ブランメル」の呼称が服飾ブランドの商標と重複することもあり、チーム名をベガルタ仙台へ改称した。
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年度所属リーグ戦ナビスコ杯天皇杯監督備考試合勝点勝利敗戦順位1995 JFL 30 27 9 21 15位 - 2回戦敗退 鈴木武一 1996 30 56 18 12 5位 - 3回戦敗退 佐藤長栄 1997 30 40 15 15 8位 グループリーグ敗退 2回戦敗退 ブランコ・エルスナー→ ミロシュ・ルス→ 三浦俊也 1998 30 43 18 12 7位 4回戦敗退 鈴木武一 ※1 ※1:壱岐洋治が総監督を務める(1999年途中まで)。
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