フィンガー5時代とは? わかりやすく解説

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フィンガー5時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/17 20:15 UTC 版)

「晃」の記事における「フィンガー5時代」の解説

故郷沖縄本土復帰した1972年活動休止帰郷考えていた頃、キャロル世に出たばかりの井岸義測が彼らの才能に目をつけ、心機一転フィンガー5として再デビューを果たす。フィリップス・レコード日本フォノグラム)に移籍シングル「キディ・キディ・ラブ」をリリース1973年8月25日個人授業」(作詞阿久悠 作曲都倉俊一発売一週間でヒットチャートトップの座にのぼりつめる。(145万枚) 「聖しこの夜・聖しこの夜(カラオケ)」〈B面:「赤鼻のトナカイ・ジングル・ベル」〉発売 第2弾恋のダイヤル6700発売158万枚前作続きチャートNo.1獲得1974年第3弾「学園天国」発売105万枚) 「恋のアメリカン・フットボール発売 7月5日 ソロアルバムあきら ぼくの好きな歌発売7月25日映画フィンガー5の大冒険公開 ソロシングル「つばさがあれば」発売 この頃から少しずつ変声期がはじまる。 8月22-25日 東京の浅草国際劇場にて、デビュー1周年リサイタル個人授業で再スタートし1年記念すべきステージとなる。 9月10日上級生(恋の大予言)」発売 10月3日 日本武道館にてデ・フランコ・ファミリーとジョイントコンサート12月フィンガー5クリスマス・パーティー発売 12月25日華麗なうわさ」発売 この年日本レコード大賞 ヤングアイドル賞受賞日本歌謡大賞 放送音楽プロデューサー連盟受賞1975年2月5日名犬ラッシー発売 3月5日バンプ天国発売 5月 ポリドール移籍。それと同時に事務所として『フィンガーファミリー』設立する6月-7月 自分たちのやりたい音楽とは遠ざかっていたことに疑問感じ始め渡米決意。そしてアメリカ縦断サヨナラ・コンサート。 6月21日ぼくらのパパ空手先生発売 8月2日 アメリカ向けて日本出発ロサンゼルス郊外に居を構えハイレベルな音楽追求のためレッスン。 アーティストユニオンに加盟 11月21日帰ってくるよ」発売 1976年2月9日 帰国 2月21日 「ジェット・マシーン」発売 3月 アルバム 『ジェット・マシーン〜ニュー・フィンガー5から愛をこめて』発売3月13日-4月 アメリカからの帰国報告コンサートが、中野サンプラザはじめに日本縦断行われた6月1日飛べ!すてきなベイビー発売 9月21日101ガールフレンド発売 12月21日モンローウォークお嬢さん発売 1977年2月21日 AKIRAソロシングル、「メリージェーン発売 港区中学校卒業後青山のギタースクールに通う。 5月1日 「恋のラッキーストライク発売 7月21日 「スーパーカーブギ」発売 11月1日 「ぼくは眠れない発売 1978年2月1日やきもちボーイ発売 6月21日悩ませないで」発売 この年フィンガー5としては実質的に解散引退と言われている。

※この「フィンガー5時代」の解説は、「晃」の解説の一部です。
「フィンガー5時代」を含む「晃」の記事については、「晃」の概要を参照ください。

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