フィンガー5時代
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故郷・沖縄が本土復帰した1972年、活動休止し帰郷を考えていた頃、キャロルを世に出したばかりの井岸義測が彼らの才能に目をつけ、心機一転、フィンガー5として再デビューを果たす。フィリップス・レコード(日本フォノグラム)に移籍、シングル「キディ・キディ・ラブ」をリリース。 1973年8月25日 「個人授業」(作詞・阿久悠 作曲・都倉俊一)発売。一週間でヒットチャートトップの座にのぼりつめる。(145万枚) 「聖しこの夜・聖しこの夜(カラオケ)」〈B面:「赤鼻のトナカイ・ジングル・ベル」〉発売 第2弾「恋のダイヤル6700」発売(158万枚。前作に続きチャートNo.1を獲得) 1974年第3弾「学園天国」発売(105万枚) 「恋のアメリカン・フットボール」発売 7月5日 ソロアルバム『あきら ぼくの好きな歌』発売。 7月25日 『映画フィンガー5の大冒険』公開 ソロシングル「つばさがあれば」発売 この頃から少しずつ変声期がはじまる。 8月22-25日 東京の浅草国際劇場にて、デビュー1周年リサイタル個人授業で再スタートし1年、記念すべきステージとなる。 9月10日 「上級生(恋の大予言)」発売 10月3日 日本武道館にてデ・フランコ・ファミリーとジョイントコンサート。 12月 「フィンガー5とクリスマス・パーティー」発売 12月25日 「華麗なうわさ」発売 この年、日本レコード大賞 ヤングアイドル賞受賞。 日本歌謡大賞 放送音楽プロデューサー連盟賞受賞。 1975年2月5日 「名犬ラッシー」発売 3月5日 「バンプ天国」発売 5月 ポリドールに移籍。それと同時に事務所として『フィンガーファミリー』設立する。 6月-7月 自分たちのやりたい音楽とは遠ざかっていたことに疑問を感じ始め、渡米を決意。そしてアメリカ縦断サヨナラ・コンサート。 6月21日 「ぼくらのパパは空手の先生」発売 8月2日 アメリカに向けて日本出発。ロサンゼルス郊外に居を構えハイレベルな音楽追求のためレッスン。 アーティストユニオンに加盟 11月21日 「帰ってくるよ」発売 1976年2月9日 帰国 2月21日 「ジェット・マシーン」発売 3月 アルバム 『ジェット・マシーン〜ニュー・フィンガー5から愛をこめて』発売。 3月13日-4月 アメリカからの帰国報告コンサートが、中野サンプラザをはじめに日本縦断で行われた。 6月1日 「飛べ!すてきなベイビー」発売 9月21日 「101人ガールフレンド」発売 12月21日 「モンローウォークのお嬢さん」発売 1977年2月21日 AKIRAソロシングル、「メリージェーン」発売 港区立中学校卒業後、青山のギタースクールに通う。 5月1日 「恋のラッキーストライク」発売 7月21日 「スーパーカーブギ」発売 11月1日 「ぼくは眠れない」発売 1978年2月1日 「やきもちボーイ」発売 6月21日 「悩ませないで」発売 この年、フィンガー5としては実質的に解散・引退と言われている。
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