フィルムの発見と復元
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本作はフィルムが失われたと長らく考えられていたが、1988年(昭和63年)に家庭用9.5mmフィルム版のプリントが発見された。これは映画評論家・山根貞男の知人であるフィルムコレクターが、他のコレクターから入手したもので、山根の仲介によってフィルムセンターに寄贈され、35mmフィルムに復元されて再公開された。発見されたプリントは公開当時の完全なものではなく、本作で撮影助手を務めていた厚田雄春によれば、冒頭の製作会社ロゴタイトル・クレジット部分やそれに続く短いカット3、4つほど、さらにエンドマークが欠落しており、中盤部分にも明らかに数コマから数秒ほど欠落している箇所がいくつかあるが、一シークエンスが丸々抜け落ちているようなことはないという。現在観ることのできるプリントは、この9.5 mm版プリントにタイトルなどを補ったものであり、無声映画期に一般的だった秒間18コマ (18 fps) のフレームレートで映写する場合でおよそ18分の長さであるが、現代の規格である24 fpsでの映写では14分ほどになり、本作が収録されている2003年(平成15年)発売のDVDでもこの長さになっている。同プリントは、2001年(平成13年)開催の第20回ポルデノーネ無声映画祭で上映された。 その後、2015年に映画ファンの遺族より京都市のおもちゃ映画ミュージアムに寄贈されたフィルムの中に本作があり、上述の家庭向け短縮版の欠落部分(タイトルシーンや字幕、冒頭部分など数分程度)が含まれていることが判明した。この部分は、翌2016年10月に京都国際映画祭で上映された。
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フィルムの発見と復元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 04:54 UTC 版)
『忠次旅日記』のオリジナルネガは紛失し、上映用のフィルムも1950年代頃には失われていた。伊藤大輔自身が、第1部の出来に不満があり、総集篇を作る際に第1部を採用していない。第2部と第3部のフィルムと脚本も散逸し、第3部の1分間の断片シーンが玩具フィルムとして残されているのみだった。しかし、1991年12月、広島県の民家の蔵から可燃性の35㎜フィルムが発見された。フィルムは広島市映像文化ライブラリーを経て、東京国立近代美術館フィルムセンターで復元作業が行われた。フィルムは第2部の一部と第3部の大部分、計89分であることが分かった。1992年10月10日、11日、同センターで復元版が公開され約3000人が入場した。2011年7月にはフィルムセンターが着色及びデジタルリマスタリング化を行った106分の「デジタル復元・再染色版」が上映された(24コマ上映のため本来の上映時間よりも長くなっている)。9月には衛星劇場で放送された。その後、第1部の冒頭1分も発見されている。
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