ファースト・アルバムとその成功とは? わかりやすく解説

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ファースト・アルバムとその成功

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 01:06 UTC 版)

ザ・ストーン・ローゼズ」の記事における「ファースト・アルバムとその成功」の解説

1989年初頭にかけて、ジョン・レッキープロデューサー迎えレコーディングを行う。1989年2月にはアルバム先駆けてシングル「メイド・オブ・ストーン」をリリース当初反響小さかったが、3月11日NME誌のシングル・オブ・ザ・ウィークに選ばれる5月には満を持して1stアルバムザ・ストーン・ローゼズ』を発表全英アルバムチャート初登場47位を記録し、最高32位まで上昇同年7月シングル・カットされた「シー・バングス・ザ・ドラムス」が全英インディーチャート1位を記録する頃にはプレスも彼らの存在無視できなくなりストーン・ローゼズの名は急速に英国全土へ名が広まっていった。特にBBC番組出演した際、演奏途中で停電起きたことに怒ったイアン司会向かって繰り返しアマチュア!」と罵ったという事件は、良くも悪くもバンド知名度上昇一役買った秋に入る英国外でも短いツアー行い10月初来日公演では東京など4会場ライヴ行った11月シングル「フールズ・ゴールド/ホワット・ザ・ワールド・イズ・ウェイティング・フォー」をリリース全英シングルチャート最高8位を記録し、初のチャートトップ10入りを果たす。年末特集記事では多く音楽雑誌ローゼズをベスト・ニューカマーに選出NME誌だけでもバンド・オブ・ザ・イヤー、ベスト・ニュー・バンド、シングル・オブ・ザ・イヤー(「フールズ・ゴールド」)、アルバム・オブ・ザ・イヤー(『ザ・ストーン・ローゼズ』)に選ばれた。 1990年1月、元所属レーベルFM Revolverバンド意に反してシングル「サリー・シナモン」を再リリースしてミュージック・ビデオ制作したことに抗議オフィス乱入したローゼズとそのマネージャー辺り青と白ペンキぶちまけた翌日メンバー逮捕され3月器物損壊罪有罪判決受けた5月27日にはスパイク・アイランドにて後に伝説となる野外ライヴを行う。約2万7千人観客動員したこのライヴは「バギー世代ウッドストック」と称されローゼズキャリアピークとなった6月シングルワン・ラヴ」をリリースし、最高4位を記録した。 同じ頃、所属レーベルシルヴァートーンにおける待遇に不満を持ったバンド移籍希望するが、レーベル側は契約を盾にこれを拒否問題法廷闘争発展するが、1991年5月契約の解除認められローゼズ新たにゲフィン契約した

※この「ファースト・アルバムとその成功」の解説は、「ザ・ストーン・ローゼズ」の解説の一部です。
「ファースト・アルバムとその成功」を含む「ザ・ストーン・ローゼズ」の記事については、「ザ・ストーン・ローゼズ」の概要を参照ください。

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