野外ライヴ
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1975年7月20日、富士山麓での野外ライヴは、広大な空き地に一からステージ設営し、バスで全国から観客を運ぶといった大イベントも成功させた。観客3万人。当時の週刊誌で「史上初、空前絶後の大イベント」と書かれており、「夏フェス」の元祖ともいわれる『吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋』より二週間早く、ソロでの観客数万人規模の野外ライヴとしては、最も早い事例と見られる。本コンサートを皮切りに同年8月30日まで続いた『全国縦断サマー・フェスティバル』の模様とステージを離れた西城のプライベートタイムを細大もらさずフィルムに収めようと松竹と日本テレビの二つの撮影クルーが社を挙げて追いかけた。この松竹版がドキュメンタリー映画『ブロウアップ ヒデキ』で、1960年代にGSのバンドなどを主役とする歌謡映画がよく作られたが、このようなアイドルのひと夏のツアーを追ったドキュメンタリー映画が日本中でロードショーされるのは珍しく、『エルビス・オン・ステージ』をヒントに製作されたと評された。日本テレビは1975年9月25日の『木曜スペシャル』枠で『西城秀樹日本縦断20歳の絶唱!』「35メートルの秀樹宙吊りの熱唱▽完全取材!北海道から沖縄まで秀樹魅力の全て▽告白!母が語る秀樹生い立ちの秘密▽秀樹オンステージ」というタイトルで放送した。 鹿児島県最南端の島である与論島の海開きに合わせ、1979年3月31日に当地の海水浴場特設ステージでコンサート。島外からのファン700人を含めた観客3000人。発売間もない「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」は、ステージを降り、砂浜でファン全員で西城の周りを囲み一緒に歌った。「ホップ・ステップ・ジャンプ」のジャケット写真はこの時撮影されたもの。
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