ファイブ・フォックスとは? わかりやすく解説

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ファイブ・フォックス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/30 00:07 UTC 版)

株式会社ファイブ・フォックス
FIVE FOXes Co.,ltd.
種類 株式会社
本社所在地 日本
141-0001
東京都品川区北品川6-7-29
設立 1976年12月8日
業種 小売業
法人番号 6011001019997
事業内容 婦人服、紳士服、子供服、宝飾、生活雑貨などの企画製造卸小売業
代表者 上田 稔夫(前会長)風間 隆行(代表取締役社長
資本金 7750万円
売上高
  • 連結: 348億8900万円
(2020年8月期)
従業員数
  • 2,714人
(2021年8月期末現在)
支店舗数
  • 496店舗
(2022年8月期末現在)
外部リンク www.fivefoxes.co.jp
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株式会社ファイブ・フォックス英語: FIVE FOXes Co.,ltd.)は、「コムサ・デ・モード(COMME ÇA DU MODE)」で知られるアパレルメーカー。

概要

1980年代DCブランドブームにおいて「コムサ・デ・モード」や、「ペイトンプレイス」などのブランドで一世を風靡したが、ブームが終焉した上、ブランドの軸となるようなスターデザイナーが存在しなかったことから、のちにSPA化へ転向し1990年代モード全盛期に躍進した。かつてのアパレル業界は芸術志向の風土が強く、感性や経験則に頼った経営が行われていたが、ファイブフォックスでは企業的手法による商品開発・数値的管理・徹底教育の仕組みを取り入れたのが特徴である。昔から業界では厳しいが、従業員仲は良いと知られている。

こうした取り組みは大手他社へも波及し、業界の近代化を先導した。商業色の強いSPAの台頭により、流行の主導権がデザイナーではなく消費者に移行し、消費者が自由なコーディネートを楽しめるストリート系や裏原系が開花した。

日本美意識西洋の融合を提示し、ストイックなモードであるとの信念を持つ。「笑顔」「挨拶」「おたたみ」は企業理念の一つである。

近年では、商圏の郊外化と低価格化に応じたブランド「コムサイズム」を展開している。

沿革

  • 1976年12月8日 - 会社設立。コムサ・デ・モード発足。
  • 1978年 - 札幌にて直営1号店営業開始。
  • 1981年 - コムサ・デ・モード・メン発足、ペイトンプレイス発足。
  • 1983年 - コムサ・デ・モード・フィユ(子供服)発足。
  • 1985年 - ペイトンプレイスフォーメン(PPFM)発足。
  • 1987年 - コムサ・デ・モード・シャリテ(宝飾)発足。
  • 1989年 - バジーレ28(レディス)発足。
  • 1993年 - コムサイズム発足。
  • 1995年 - アンフォンテーヌ独占輸入販売。
  • 1996年 - ギャバジン K.T(レディス)発足。
  • 1997年 - コムサ・コレクション(メンズ)発足。
  • 1998年 - コムサ・ボーイズ(レディス)発足。
  • 1999年 - モノコムサ発足、ボナ・ジョルナータ(レディス)発足、パトリックコックスワナビー発足。
  • 2000年 - コムサストア開設。
  • 2001年 - 株式会社イーストポイント(現 株式会社イーストボーイ)・ 株式会社フランドルがグループに。後に、株式会社フランドルは解消。
  • 2001年 - ボナ・ジョルナータ(メンズ)発足、スリーミニッツハピネス発足、コムサ・コミューン発足、コムサモデルズ(レディス)発足。
  • 2002年 - コムサ・ボーイズ・プレティーン(子供服)発足、複合店シアター・コムサを札幌に開設、アルチザン発足、コムサ・マーケット(セレクトショップ)発足。
  • 2004年 - コムサ・モデルズ・メン発足。
  • 2005年 - PPFM2(レディス)発足、パープル&イエロー(レディス・メンズ)発足、パトリックコックスワナビー提携終了、プリッグス(紳士服)発足。
  • 2006年 - タカラトミーとの提携によるJOUJOU(玩具)発足、CCM発足。
  • 2006年3月6日 - CCMの1号店を熊本県熊本市鶴屋百貨店に出店。
  • 2007年 - コムサ・コレクション (COMME ÇA COLLECTION) から、プラチナ・コムサ (Platinum COMME ÇA) へ、ブランド名称変更。
  • 2007年 - コムサ・デ・モード・メン (COMME ÇA DU MODE MEN) から、コムサ・メン (COMME ÇA MEN) へ、ブランド名称変更。
  • 2008年 - プリッグス (PRIGS) 撤退。
  • 2009年 - β(ベータ)発足。
  • 2009年2月25日 - βの1号店を日本橋髙島屋ジェイアール名古屋タカシマヤに出店。

ブランド

コムサ・デ・モード (COMME ÇA DU MODE)→現在のCOMME ÇA

基幹ブランド。商業的に開発されたブランドであり、デザイナーを非公開にしていることが多い。単品の個性を主張するのではなく、トータル・コーディネート(調和)を重視。黒髪の日本人に合う服=モードを基調としている。コムサ・ラインナップの中で最高峰に位置づけられるコムサ・コレクションについては、デザイナー発の創作性を目指し作品発表などの活動を認める。

コムサ・メン (COMME ÇA MEN)

かつてのコムサ・デ・モード・メン (COMME ÇA DU MODE MEN)。2007年に伊藤健治が部長に就任したことでブランド名称を変更した。

アルチザン (ARTISAN)

コムサ・デ・モードの上位ブランド。ARTISANのブランドコンセプトは『コムサデモードの服づくりの歴史の中で培われた、さまざまな職人技を、日本の美意識で表現した服』。創作性を打ち出しているコムサ・コレクションとは対極に、モノトーンを基調としたシンプルなデザインに特化し、純粋に上質なブランドとして位置づけられている。生地もそれに合わせて上質なものを選び、縫製も職人の手作業に拠るところが多く、それに比例してドメスティックブランドとして取り扱われる国内ブランドと同じように価格面は他のラインよりも高価。メンズのARTISANは、ヴィトンがメンズファッション立上げ時に携わっていた人物がデザイナーであるため、海外ブランドの旬なトレンドを活かし、そして質感とシルエットにこだわりを持ったものになっている。

プラチナ・コムサ (Platinum COMME ÇA)

コムサ・デ・モードのメンズブランドであるコムサ・メンの上位ブランド。かつてのコムサ・コレクション (COMME ÇA COLLECTION)。2007年、デザイナーの伊藤健治が部長に就任したことでブランド名称を変更した。東京コレクションにも参加している。生地や縫製は上質のものを使用し、その分価格も高めに設定されている。デザイナーの創作性を打ち出したブランドにケンジイトウ・コムサ・コレクション (KENJI ITO COMME ÇA COLLECTION) があったが、こちらは2007年に終了となった。

コムサフィユ (COMME ÇA FILLE)

コムサ・デ・モードの子供服として発足。

コムサイズム (COMME ÇA ISM)

2000年代を象徴する社会的構造変化(商圏郊外化、百貨店集客力低下、ショッピングセンター台頭、ユニクロなどに代表されるファストファッションの出現と価格破壊、結婚を迎えた団塊ジュニア世代の「パパ・ママ」化によるヤングファミリー出現)を反映して登場した特筆すべきブランドとされている。[誰によって?]

出産祝いとしてのCOMME ÇA DU MODEのギフトセット、マザーズバッグも販売している。かつては、ベビーカー( Aprica 製)も販売されており、店頭にも並んでいた。在庫がない場合には、カタログを見て取寄せ可能であった。

まだバブル経済の余韻を残し、その後の深刻な平成不況を予測しえなかった1993年の発足は先見の明があった[要出典]。コムサイズムは、 手頃な価格設定で生活圏へ出店し、対象を「家族みんな」として量販店モデルに近づけながらもイメージを損なわない適度なブランド価値を維持しつつ、大人から幼児服まで扱い、ベビーカーを引いた親も負担なく入店できる店舗レイアウトとした[要出典]

従来空白であったゾーンを一気に開拓し、時代の要件にも適合したことで、コムサイズムは成功業態となった。 現在[いつ?]同社では利益の半分程度をコムサイズムブランドが稼ぎ出す[要出典]と見られる[誰によって?]他社もこのカテゴリに追随しようとしたが、いずれも失敗に終わった[要出典]


MONO COMME ÇA(モノコムサ)

タオルやバスタオル、弁当箱や箸などの家庭用品、財布やキーケースなどの革小物、バッグなどの雑貨を展開している。COMME ÇA ISMでも取り扱っている。かつて、株式会社AJIHEI(当時、味岡鞄)とコラボし、味平ブランドラインとして、長財布・二つ折財布・キーケース・名刺入れが販売されていた。かつて、MONO COMME ÇA KIDSも展開しており、スプーンやフォーク、幼児用のプラスチック製マグ、蓋とストロー付きのマグ、両手マグなどを販売していた。かつては、MONO COMME ÇA SOXとして、靴下単体のブランドを展開しており、当時の価格設定は切上げが主流で、3足で1,000円丁度で購入する店舗が多い中、1,000円を出したらお釣りが出るという価格であった。現在は、MONO COMME ÇAとして展開している。


ONIGIRI(オニギリ)

COMME ÇA ISMで販売されていたCOMME ÇA EASY LIVING(コムサイージーリビング)からの移行ブランドである。COMME ÇA EASY LIVINGは、大きめのサイズが特徴的で麻商品もあった。ONIGIRIに移行後は、COMME ÇA ISM以外の店舗でも取り扱う様になった。


COMME ÇA WALK(コムサウォーク)

かつて、COMME ÇA ISMで取り扱っていたスポーツライン。基本的にはメンズ売場の隣で展開されていた。スウェットやウインドブレーカーの上下、Tシャツ、リストバンド、犬用の服などを展開していた。

CCM(シーシーエム)

コムサイズムの派生ブランドとして2006年発足。1号店は、熊本県熊本市鶴屋百貨店に出店(2009年8月に撤退)。その他、佐賀県佐賀市ゆめタウン佐賀などにも出店している。

プリッグス (PRIGS)

大きく趣を異にするブランドであり、大人の男のセクシーさを前面に打ち出す、としている。服の単品一つ一つで個性を主張し、ブランドのモチーフはバラの花。生地や縫製は上質のものを使用しているため、価格は高め。2007年AWセール終了後、撤退。

PPFM(ピーピーエフエム)

英国のROCK・PUNKをベースにモダンでポップなムードを表現したデザイン、クールで独創的なファッションを提案。ストリートを意識しつつも個性を強調するブランド。PPFMは「ペイトン・プレイス・フォー・メン」の略。


PPFM JULIET(ピーピーエフエムジュリエット)

PPFMのレディース版として展開。裏原宿系のストリート系ファッションであった。リンゴがモチーフ。ファイブフォックスがアパレルで初めて福袋を販売した。ブランド撤退後、他ブランドでも福袋の販売を始めた。


スリーミニッツハピネス (Three Minutes Happiness)

“安いけどおしゃれ”、“3分間で幸せになれる”をコンセプトに展開していた雑貨ブランド。現在は展開していない。文字通り、(殆どの日用雑貨品が100円ショップにする)低価格で洒落た商品(雑貨、衣料品)を取り揃えていた。人気商品はキャリーバッグ。キャリーバッグは、ファイブフォックスらしくない柄物も販売されており、COMME ÇA ISMでも取り扱っていた。(MONO COMME ÇAを取り扱っているからである)

K・T(ケーテイー)

コムサデモードのショップにて、展開しているインブランド。 高級感のある素材を積極的に取り入れ、シンプルかつソフトなシルエットが特徴のブランド。デザイナーは副社長である高瀬清子である。

GabardineK・T(ギャバジンケーティー)

洗練された感性と上質な素材を使用したブランド。

BASLE28(バジーレ28)

イタリアの仕立屋(サルトリア)の伝統がみせる優れたカッティング技術と、 先鋭的な時代感性とがミックスしファッションを熟知した大人の女性のためのブランド。かつてBASLEも存在した。

β(ベータ)

上質なジャージー素材やニットを中心にしてスポーツからエレガンスまで幅広く展開するキャリア〜ミセス向けのブランド。

グリニッチアベニュー

上質かつコンテンポラリー(現代的な)ブランド。

BUONA GIORNATA(ボナ・ジョルナータ)

ヤングキャリア向けブランド。新規ブランド展開を計画し、新進気鋭のデザイナーを探し依頼した。ブランド発表時は、COMME ÇA ISMで展開し売行き好調のため計画通り単体の店舗展開を行い、COMME ÇA ISMでは販売されなくなった。なお、単体店舗の開店時には、全店舗デザイナーが来店していた。

PEYTON PLACE(ペイトンプレイス)

“Contemporary Sweet Girl 大人可愛い”をコンセプトにしたヤングキャリア向けブランド。百貨店の店舗では大きいサイズ、小さいサイズのアイテムを取り扱っていた。披露宴のお呼ばれ服で選ばれるブランドであった。現在はブランド終了し、Comme Ça Matureへ移行された。

Comme Ça Mature(コムサマチュア)

Fashionable=おしゃれで、Comfortable=着心地良く、Reasonable=リーズナブルをコンセプトにしたブランド。


PURPLE&YELLOW(パープル&イエロー)

カジュアルブランドで、サーファーなど海好きが好むデザインであった。PPFM JULIET展開後すぐに展開された。


COMME ÇA CAFE(コムサカフェ)

かつては、ファイブフォックスの直営であったが、現在は、株式会社コムサ、cafè comme caとなり、グループ会社となった。


デザイナー

  • 高瀬清子 - KTブランドのデザイナー。株式会社ファイブフォックス副社長。
  • 坂口徹 - テツ・コムサ・デ・モードのデザイナー。故人であり、生前に同社を退社している。
  • 伊藤健治 - 株式会社ファイブフォックスの部長に就任。ケンジイトウ・コムサ・コレクション (KENJI ITO COMME ÇA COLLECTION) のデザイナーでもあった。

その他

  • 創業メンバーの5人全員が忙しさのあまり、痩せていき、顔がこけて「キツネ顔」に見えたこと、メンバーが5人、5匹の狐として、「ファイブフォックス」という社名になった[1]。全従業員は社員教育の一環として、創業当時のことも学ぶ。
  • 似た名前のブランド、コム・デ・ギャルソンとは無関係である。
  • ファイブフォックスの店舗のBGMは創業当時の代表取締役社長の上田稔夫の方針でビートルズであったが、近年は流されていない。一時期、モノコムサで発売されていたCDの楽曲が使用されていた。
  • 自社の公式サイトを持たないことで知られていたが、2007年から求人募集専用としてページ上部に「こちらは株式会社ファイブフォックスの人材募集用サイトになります。」と表示されるサイトが開設され、2012年4月に公式サイトが開設された。公式サイトが開設されていないのは、『繊維・アパレル業界でも謎』とされているが、ファイブフォックスは日本の伝統文化を大切にする企業なので、国外が起源とするウェブサイトを開設しない方針であった。
  • 現在はオンラインストアも展開している。
  • 2023年 上田 稔夫は会長職に就き、風間 隆行が社長となる。
  • 2024年 会長上田 稔夫が死去[2]

脚注

  1. ^ “ファイブフォックス-デザイナーから管理職に(オフィス発)” (日本語). 日本経済新聞(夕刊) (日本経済新聞社): p. 11. (1994年12月26日). "社名のファイブフォックスの由来は、「創業メンバーの五人が全員キツネ顔だから」で、女性の最高役職者である副社長もこの一人。" {{cite news}}: CS1メンテナンス: 認識できない言語 (カテゴリ) - 日経テレコンにて2016年1月15日閲覧。
  2. ^ 学, 高村. “「コムサ」「ハンズ」「ベルコモ」が誕生した1976年に創業のファイブフォックスの上田稔夫会長が死去”. セブツー. 2025年9月29日閲覧。

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