パレスチナのアラブ人代表団との会談
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「カイロ会議 (1921年)」の記事における「パレスチナのアラブ人代表団との会談」の解説
首長との会談の後、チャーチルは、パレスチナのイスラム教徒とキリスト教徒を代表し、ムーサ・アル=フサイニー(英語版)率いる1920年のハイファ会議(英語版)の代表団と会談した。彼らは、イギリスのパレスチナ政策に強く抗議する覚書を手渡した。彼らは、イギリスが「戦争による財政負担の下、シオニストに国を売った」さらに、イギリスは、「彼が統治する人々の大多数は、彼自身の人種や信仰とは無関係であるという事実」にもかかわらず、「住民感情を無視し、ユダヤ人を高等弁務官に任命した」 「ユダヤ人が、パレスチナ司法の最重要な地位である法務長官に任命され、さらに悪い事にこの人物は完全にシオニストである。」と訴えた。 代表団は、ユダヤ人の歴史的主張に基づいたバルフォア宣言の法的効力に「昔、アラブ人がスペインを征服し、そこで高度な文明を発展させたのだから、アラブ人はスペインを領有できる」という論理で異議を唱えたのである。彼らは、請求された関税や貿易競争を批判し、シオニストが市場を支配している事に対して警告を発した。彼らは土地の買い占めに抗議し、少ない仕事しかしないにもかかわらず、ユダヤ人移民を2倍の給料で雇う計画によって公教育が犠牲になっている。代表団は 「...ユダヤ人に最も高い地位と高額の俸給が与えられている。」その一方で「地元の要望に精通した地元の役人は、三流の地位に追いやられ、必要以上に給料も安く、全く仕事に見合っていない。」と訴えた。 代表団は、パレスチナ委任統治案に異議を唱えた。この案は、既存のアラブの権利には、新たに何も追加せず、イギリスに、自国ではない土地をユダヤ人の王国として引き渡す権利を与える物であった。「片やユダヤ人は、我々の支配者になるという真の利益が与えられている。」彼らは、バルフォア宣言の取り消しや選挙で選ばれた議会の設立、ユダヤ人移民の受け入れ停止を要求した。 チャーチルは、この書簡に対し「党派的で一方的な物であり、事実と異なる事が数多く書かれている」と批判した。バルフォア宣言は、連合国によって既に批准されており、所与の事実となっている。ユダヤ人のための民族郷土は、「世界のためになり、ユダヤ人のためになり、大英帝国のためになり... パレスチナに住むアラブ人のためにもなる。」彼は、バルフォアが述べたのは「ユダヤ人のための民族郷土をパレスチナに作る事」を指しており、「パレスチナをユダヤ人のための民族郷土にするとは言っていない」事を強調した。それは 「ユダヤ人以外の人々の民族郷土でなくなるとか、アラブ人を支配するためのユダヤ人による政府が作られるという意味ではない。」イギリス政府は「アラブ民族全体との強い友情と協力の念を大切にしており、それこそが、世界で最も偉大なイスラム国家である大英帝国に期待されている物である ...」 チャーチルは演説を続け、サミュエルの高等弁務官への就任について述べた。彼が任命された理由は、その経験に基づく熟練のためである。なぜなら彼はユダヤ人であり、「慎重にバランスを保ち、すべての人のために公正な取引を確保するという点において、自国民に敵意を抱いているとして非難される事はなかったし、彼が公正な事しかしていないと述べた時、信頼を勝ち得たのである。」そして、サミュエルはユダヤ人移民がパレスチナにもたらした利点について語り、イギリスの政策の変更を拒んだ。
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