パラット【パラット】(草花類)
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登録番号 | 第12365号 |
登録年月日 | 2004年 11月 8日 | |
農林水産植物の種類 | シンビジウム | |
登録品種の名称及びその読み | パラット よみ:パラット |
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品種登録の有効期限 | 20 年 | |
育成者権の消滅日 | ||
品種登録者の名称 | 株式会社河野メリクロン | |
品種登録者の住所 | 徳島県美馬郡脇町大字北庄562番地の1 | |
登録品種の育成をした者の氏名 | 河野通郎 | |
登録品種の植物体の特性の概要 | ||
この品種は、「スリーピングビューティプラチナムバード」にCymbidium lowianum var concolorを交配して育成されたものであり、花はセパル及びペタルが鮮黄緑の単色、リップは正三角形で黄白の地色に明緑黄色の楔が入る中型種である。草型の大きさは中、草姿は中間型である。ぎ球茎の正面及び横断面の形は扁円形、高さは101~150㎜、長径は51~70㎜である。葉の全体の形は線形、先端の形は鋭先形、頂点の角度は30~45度、先端の角度は30~60度、葉の長さは75~105㎝、幅は21~30㎜、葉色は緑、葉数は13~15枚である。一花茎の花数は21~30、花茎の太さは9.1~12㎜、長さは80~110㎝、色は淡緑、抽出の方向は斜上である。咲き型は部分抱え・平咲き、花の横径及び縦径は61~80㎜、ドーサル・セパル正面の形は広線形、先端の形は微突形、ラテラル・セパル正面の形は湾曲広線形、先端の形は不等微突形、ペタル正面の形は広線形、先端の形は不等微突形である。リップ正面の形は正三角形、先端の形は微突形、周縁の反転及び波打ちは小である。全体的な花色は緑系、花色はセパル及びペタルは鮮黄緑(JHS カラーチャート3306)の単色、リップは黄白(同2502)の地色に明緑黄(同2705)の楔が入る。花の香りは無、開花期は冬である。「フォルテッシモ・ピアニスト」と比較して、リップ正面の形が正三角形であること、ペタルが単色であること、リップに明緑黄の楔が入ること等で、「エスポワール ベルディ」と比較して、リップ正面の形が正三角形であること、リップに明緑黄の楔が入ること等で区別性が認められる。 | ||
登録品種の育成の経過の概要 | ||
この品種は、平成6年に出願者の温室(徳島県美馬郡脇町)において、「スリーピングビューティプラチナムバード」にCym.lowianum var concolorを交配し、その実生の中から選抜、以後、増殖を行いながら特性の調査を継続し、14年にその特性が安定していることを確認して育成を完了したものである。 |
パラット
ウォルター・パラット
(パラット から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/12 09:06 UTC 版)
ウォルター・パラット Walter Parratt |
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生誕 | 1841年2月10日![]() |
死没 | 1924年3月27日(83歳没) |
ジャンル | クラシック |
職業 | オルガニスト、作曲家 |
サー・ウォルター・パラット(Sir Walter Parratt KCVO 1841年2月10日 - 1924年3月27日)は、イングランドのオルガニスト、作曲家[1]。
生涯
経歴
パラットはハダースフィールドに生まれた。父がオルガニストであったので幼少期からパイプオルガンを演奏するようになり、まだ子供であった時期にオルガニストの職に就いた。神童であったパラットはわずか10歳のある時、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」全曲を何も見ずに暗譜で演奏した[2]。
パラットは1854年から1861年にかけてジョン・ステイナーの跡を継いで故郷の町のセント・ポール教会のオルガニストを務め、1872年に就任したオックスフォード大学のモードリン・カレッジのオルガニストにはその後10年にわたって在職した。1882年からはウィンザー城のセント・ジョージ・チャペル[注 1]のオルガニストとなっている。1908年にはヒューバート・パリーの後任として、オックスフォード大学の音楽科教授になった。ちなみに彼は王立オルガニスト大学の学長も歴任している。
パラットは同時代のオルガン教育の第一人者となり、弟子の多くがイギリス国内の重要な役職に就いた。
また、パラットはチェスプレーヤーとしても名の知れた存在であり、複雑なオルガン曲を初見で演奏しながらチェスの対戦をすることができたという[3]。彼はオックスフォード大学のチェスクラブの部長を数か月務め、2年間にわたってケンブリッジ大学との対抗戦に出場する8人の選抜選手のキャプテンであった[4]。
名誉
パラットは1892年にナイトに叙されると、1893年からはヴィクトリア女王の音楽師範に任命され、続いてエドワード7世[5]、ジョージ5世にも音楽の指導を行った。
その後にパラットが得た称号としては、ロイヤル・ヴィクトリア勲章のメンバー(MVO 1901年)、コマンダー(CVO 1917年)、ナイト・コマンダー(KVCO 1921年)が挙げられる。
1924年にパラットがこの世を去ると、彼の記念碑がハダースフィールド教区教会の敷地に建立された。ウィンザー城のセント・ジョージ・チャペルにもパラットの記念碑が建っており、それはジョージ6世が埋葬されているジョージ6世メモリアル・チャペルの入り口の隣に位置している。
職歴
- Armitage Bridge Church, 1852年-1854年
- St. Paul's Church, Huddersfield, 1854年-1861年
- private organist to the Earl of Dudley, Witley Court, 1861年-1868年
- organist of Wigan Parish Church, 1868年-1872年
- Magdalen College, Oxford, 1872年-1882年
- St. George's Chapel, Windsor Castle 1882年-1924年
脚注
注釈
- ^ 訳注:ウィンザー城内に位置するイングランド国教会の教会。ガーター勲章の授与はここで行われる。(St George's Chapel)
出典
- ^ “Obituary: WALTER PARRATT”. Musical Times. (May 1, 1924) .
- ^ ニューグローヴ世界音楽大事典 第5版, 1954, Vol. 6, p. 559
- ^ Pearson, Arthur (June 1903). “Famous Yorkshire Musicians”. The Non-Conformist Musical Journal 186: 73, 88–90 2010年3月24日閲覧。.
- ^ “PARRATT, Sir Walter”. Who's Who, 59: p. 1359. (1907) .
- ^ "No. 27363". The London Gazette (英語). 8 October 1901. p. 6569.
参考文献
- Rosemary Firman, 'Parratt, Sir Walter (1841–1924)', Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, 2004 accessed 25 March 2008
- Donald Tovey & Geoffrey Parratt, Walter Parratt: Master Of The Music (Oxford University Press, 1941).
- Organ Recitals at St George's Chapel
宮廷職 | ||
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先代 Sir William Cusins |
国王の音楽師範 1893年 - 1924年 |
次代 サー・エドワード・エルガー |
パラット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 04:20 UTC 版)
黄色い葉っぱ型のロボット。体内の乾電池が動力源らしい。バナナが好きなプレイボーイで長い舌を出す。
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