バルジの形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 04:01 UTC 版)
アルデンヌ戦線南方ではブランデンベルガー率いる第7軍が進撃していた。対するアメリカ軍は第4歩兵師団の2個連隊と第28歩兵師団の1個連隊であり、実質的には1個師団でドイツ第7軍4個師団を相手に戦うこととなった。第4歩兵師団の第12歩兵連隊(英語版)も、他のアルデンヌのアメリカ軍部隊と同様に休息中で、連隊長のロバート・H・チャンス大佐は将兵に外出許可を与えており、連隊の12個中隊のうちドイツ侵攻時には5個中隊しか前線にいなかった。そのわずか5個中隊をドイツ軍第212国民擲弾兵師団が包囲してきたが、古参兵揃いの第12歩兵連隊は慌てることもなく、エヒタナハでは帽子工場、ベルドルフ(英語版)では郊外のホテルを拠点にして激しく抵抗した。第4歩兵師団長のレイモンド・O・バートン少将はドイツ軍の侵攻開始の報告を受けると、指揮下の部隊に「いかなる撤退行動にも同意を与えるつもりはない」とする死守命令を発した。 ベルドルフのホテルには掲げられた星条旗を目標にしてドイツ軍の砲撃が集中しホテルは大破してしまったが、ドイツ軍侵攻翌日の12月17日にはアメリカ軍第10機甲師団(英語版)の戦闘部隊の増援が到着し、ベルドルフ市街で激しい市街戦を展開した。第10機甲師団の戦闘部隊はエヒタナハにも到達し、帽子工場に立て籠もっている部隊の指揮官ボール・H・デュピュイス大尉に街からの撤退を提案したが、デュピュイスはそれを拒否、この後も増大し続けるドイツ軍に激しく抵抗し、工場を4日間守り切って、12月20日にようやくドイツ軍に降伏した。ドイツ軍第212国民擲弾兵師団の師団長フランツ・ゼンスフス(英語版)少将は、わずかな部隊で自分の1個師団を苦戦させた相手に敬意を表して、投降の申し出の受け入れにわざわざ立ち会っている。激しい市街戦が続いていたベルドルフにもドイツ軍が増援を送り込んできたので、第12歩兵連隊と第9機甲師団の戦闘部隊は撤退を余儀なくされた。 第4歩兵師団が第7軍の攻撃を5日間耐えている間、第5歩兵師団(英語版)などの増援が続々と到着、整然と撤退した第4歩兵師団と合流すると、東はエヒタナハ地区から西はグロスブースに至る32㎞の新しい防衛線を構築して、これ以上の第7軍の南下を阻止した。第4歩兵師団は2,000人の人的損失を被りながら、ドイツ軍の南方へのいかなる拡大を阻止したこととなり、北部のエルセンボルンリッジで第6SS装甲軍の進撃を阻止した第2歩兵師団と第99歩兵師団の奮戦と併せて、ドイツ軍の進撃を中央を突き進む第5装甲軍のみに限定させることに成功した。ドイツ軍は当初の作戦計画より遥かに狭い進撃路に戦力を集中せざるを得なくなり、戦場に大きな「バルジ」が現出することとなって、アメリカ軍の阻止行動に対して不利な立場に置かれることとなった。
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