バルジの戦いから終戦まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 17:45 UTC 版)
「エルンスト・バルクマン」の記事における「バルジの戦いから終戦まで」の解説
1944年12月16日からのバルジの戦いで、バルクマンは多数の敵戦車を撃破していたが、12月25日の戦闘で重傷を負い後送され、1945年1月25日に負傷章(金色)を授与された。1945年3月6日、東部戦線における最後の反攻作戦となる春の目覚め作戦に従軍したバルクマンは、セーケシュフェヘールヴァール近郊で4両のT-34中戦車を撃破し、師団として通算3,000両目の敵戦車撃破を達成した。しかしながら、作戦自体は無残な失敗に終わった。作戦開始時点でバルクマンの中隊は師団の中で唯一、定数である9両のパンターを装備していたが、ソ連軍のIS-2重戦車によって3両が撃破された。わずか6両とはいえ貴重な装甲戦力であることに変わりはなく、同じ作戦に従軍していた第1SS装甲師団のヨアヒム・パイパー親衛隊大佐から、バルクマンに第1装甲連隊に合流するよう命令され、4月初頭にはオーストリアのウィーン南方まで後退する。4月12日、バルクマンのパンターは移動中に友軍歩兵のパンツァーファウストによる誤射を浴びた。バルクマンと乗員は負傷し、パンターも損傷した。さらにこの日の夜、パンターは爆撃跡にはまり込み、牽引する余裕もなかったために爆破処分された。以降、バルクマンと乗員は歩兵として戦い、途上で第4中隊と合流して再びパンターを受け取ると、ドイツ降伏まで後衛戦闘を行った。5月8日、バルクマン達はバイエルンでイギリス軍の捕虜となった。大戦における最終的な戦果は、戦車82両(+α)、各種車両132台、対戦車砲43門であった。
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