ハイテク禁止と給油作戦復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 04:33 UTC 版)
「1994年のF1世界選手権」の記事における「ハイテク禁止と給油作戦復活」の解説
FIA会長マックス・モズレーの方針により、F1の競技性を見直すレギュレーションの改訂が行われた。1990年代のF1マシンはトラクションコントロール(TCS)、アクティブサスペンション、アンチロック・ブレーキ・システム(ABS)などのハイテク装備が急速に進化していた。1992年には実用の域に達し、1993年はほとんどのチームが性能に差はあれどハイテク装備を使用した年となった。ただし、92年の経過を受け、93年のレギュレーションにおいて、車体に関するレギュレーション変更を行い一定のブレーキをかけようとしたが、最終的には92年と大差ないスピードを取り戻した。そのため、FIAは大鉈を振るうことを決断。開発コストの抑制やドライバー同士のバトルを増やすという方針からそれらは廃止された(セミオートマチックギアボックスやパワーステアリングは合法とされた)。また、レース中の順位変動を活発化しエンターテイメント性を高めるため、1983年以来となるレース中の再給油が許可された。 FIAからすれば、ハイテク装備の性能によってレース結果が左右される状況が緩和されることを期待していた面もあった。ところが、ハイテク装備禁止という規定は92年から案として出ていたものの、F1マシンというのは翌年のマシン開発のために数か月かかるのが常識であったことや過去の事例から、禁止する方向に進んでも発表されてから数年後になるという見方が大多数を占めていた。そんななか、93年シーズン途中に94年からハイテク装備が禁止されることが決定した。だが、急な変更によりマシン開発は混乱をきたしたうえ、ベネトンのようにハイテクに頼らないマシン開発をしていたチームは比較的上手く対応したが、ウィリアムズのように変更がないことを前提に開発していたチームは対応に苦慮した。そもそも、ハイテク装備は多かれ少なかれマシンの高速化の対応に一役買っていたのだが、ハイテク装備禁止以外のレギュレーション変更がなかったため、前年よりマシンの平均速度が上昇する可能性があったにもかかわらず、変更を実施した場合の問題の検証がされているとは言えなかった。その結果、制御が著しく不安定となったマシンが続出。これがイモラでの悲劇の遠因となり、結果的にレギュレーション変更が裏目に出てしまった年となった。またピットでの給油作業では懸念された通りの出火事故が起こり、ドイツGPでヨス・フェルスタッペンとベネトンのピットクルーが火傷を負った。また、ハイテク装備の禁止のうちエンジンコントロールユニットのプログラムで制御するTCSを完全に規制することは困難で、数チームが使用疑惑をかけられた。
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